知恵の破壊と自然との共生

先日、スリランカに訪問した友人から色々とお話をお聴きする機会がありました。スリランカには、アーユルヴェーダというものがあります。これは「生命の科学」「生命の知識」といわれる5000年以上続く伝統医学です。予防医学・治病医学にとどまらず、高度な生命哲学としても今でも活用される知恵の伝承の一つです。

国内には、たくさんのアーユルヴェーダの医師もいるそうです。しかし最近は、西洋医療が入ってきてたくさんのドラッグストアや病院も増え、伝統医療は人気がなくなってきているといいます。医師を志す若者も、西洋医療の方が人気が出て伝統医療の方は関心が薄れているといいます。それにアーユルヴェーダの医師は、薬草をふくめほぼ無料や寄付のみで運営しているところが多いということで経済的に苦しくなるので両親も、アーユルヴェーダの医師にはなるなと子どもたちに話しているといいます。

むかしの日本も医師は僧侶と同じく、ほぼ無報酬で人々の心身を救っていたといいます。藪医者ともいい、藪に住んでは、村の人たちのことを見守り、未病といって病気にならないようにあの手この手で診療していたといいます。いざ、病気になったら治療をして同じようにならないように色々と指導されていたといいます。正月には、そのお礼として村人たちがお布施をしていたそうです。立派で私心のない人たちが、人々の心を支えていたようにも思います。

スリランカでも伝統や文化は今、岐路を迎えているそうです。時代の流れというよりも、どの国でも資本主義や利己欲主義が蔓延していくと似たように伝統や伝承が破壊されていくのをお聴きします。

一見、便利なもの、すぐに結果が出るもの、科学的に証明されるもの、政府や偉い人がいうもの、流行っているものなどに飛びつきます。不安というものや不信というものが増えれば触れるほどに、情報が偏り、中庸というかバランスをとるのも難しくなるのでしょう。

もともとあったものの価値や、ずっと篩にかけられても失われなかった知恵の大切さは現代の経済とは関係なく、人々を経世済民してきました。みんなで相互扶助の仕組みをつくり、自然の循環が已まないようにみんなで場所を守り協力しあって社会を保ってきたものもあります。

これらの知恵は、本来は生き物でありいのちそのものでした。例えば、いくら機械で似たような食べ物を成分分析をして即席で同じ味のように実現しても、それはいのちではないのと同じです。

本来は、知恵はいのちのことでありいのちはいのちとして最後まで壊さないように接してこそいのちも知恵も保たれます。

私たちが今、行っているのは知恵の破壊なのです。それは言い換えれば、いのちの破壊ということです。

いのちが破壊されていくと、私たちは思考停止していきます。そうやって世界は、思考停止して加工された人工物で満たしていくのですがそのことで自然が満たされなくなっていきました。都市化というのは、機械化であり知識化であり人工化したということで不自然化ということです。

自然との共生というのは、そんな自然をちょっと使ったことではなく、まさに自然の中に暮らしをするということです。自然の中で暮らすというのは、すでにあるもので十分満ち足りて感謝で生きていくという生き方のことでもあります。

本当のことを観続けることや、もともとあったものを大切に継承していくことは、それだけで自然から離れずにすむものです。自然を身近に、子どもたちにも自然との共生によるいのちが循環しあう喜びや仕合せを場を通して伝道していきたいと思います。