普遍的な道

本来、何かを生産するというのは時間がかかるものです。それた種をまき、見守り育てていくのに似ています。植樹であれば、3世代先がその木で生計を立てられるように考えて取り組みます。

しかし今の時代は、生産するよりも消費、いや没収や搾取をするような感覚でそれぞれの場所で時間をかけずに我さきと急いで消費できるものを奪い合っている様相です。

特に地方や田舎、あるいは世界の果て、今では宇宙の利権にまで手を出し、ここもまだ手付かずという場所がないほど探してそこから搾取しようとしています。この搾取というのは、そもそも占領や奪取でありそこで得たものはすべて自分のものとして財を貯えます。この財を貯えるという方法も、かつて日本の偉人、二宮尊徳が実践したような積小為大にあるような自然的なものではなく、まさに機械的なもの、人工的なものになってきています。

こういう構造の問題を解決することなしに、問題を先送りしたところであまり本質は変わらないように思います。

影響力の大きな環境があるなかで、為政者やリーダーたちがそのことに気づいて挑戦しようと君子が出てくるのをある意味では待つしかないのかもしれません。しかしそうしていても、民衆や自然は苦しみが増していきますから已むに已まれずに自らの場所で生き方として実践していく人たちが歴史を顧みるとたくさんおられることに気づきます。

無名であっても、何か有名なことをしていなくても、志で自らの役割を全うする人たち、天命を成就していく人たちは普遍的な道を照らしてくれます。

そういう場所は、普遍的な道の存在に気づく人が増えていくものです。普遍的な道を歩んでいく後ろ姿はそのものが尊く、ああ、この道を歩んだのだなと共感するものです。

時代がどれだけ変わって巡っても、そういう先人たちや普遍的な道を歩んでいくことは仕合せなことです。

子どもたちにもそういう普遍的な道があることを伝承伝道していきたいと思います。