昨日はアメリカのサニーベール市から40名以上の方が、聴福庵に来庵され見学をされました。あいにくの雨でしたがそれぞれに心地よく見学されていました。特にわざわざ感想を伝えに、私に直接話をしてくださった方々もいて心温まる時間になりました。
私は英語はよくわかりませんが、見学された方からはどの場所も美しいといわれたり、ピースフルでスピリットが宿っているといった感想がありました。言葉の壁は、場力には影響がなかったことを再実感しました。おやつに銀杏の炭火焼も食べてもらいましたが喜んでおられました。
そもそも、人間には場の力を感じる能力が具わっているものです。例えば、心が休まる場所では落ち着くものです。この落ち着くという感覚は、物が静かに調和して穏やかに配置されているときなどに感じられるものです。私たちは無意識にですが、自然の調和を自覚するものです。その心地よさを知るからこそ、場の力を察知する力も備わっています。つまりは自然としての一部としての自覚を持っているということです。
私は場づくりをするものですが、場にも色々な場があります。ある人は、研修などで場を語り、またある人は建築で場を語り、他にもありとあらゆるところで場を表現します。しかし私がよく用いる場は浄化場が多いように思います。ありとあらゆるものを浄化していくのに、磨き上げていきます。そして、いのちを甦生させるような場に仕上げていきます。
もともと甦生というのは、本来の徳を発揮させていくものです。これは物に限らず人も同じです。それぞれの持ち味が発揮されていけば、次第にその場は調和します。そして調和する場には、澄み切った空気が流れています。それが浄化の感覚です。
よく手入れされ、祈りを繰り返して磨き上げられた清浄な神社などにいけばその雰囲気があるところがあります。日本人は、古来より場を調えることで人々の心もまた調えてきました。
そうやって、神人合一の境地や実践をもって私利私欲を調えてみんなで平和を築いてきました。時代が変わっても、普遍的な道は失われることはありません。
子孫のためにも、私たちの文化の根源を大切にし世界と交流し次世代へと伝承していきたいと思います。