実りの秋といいますが、秋はあらゆる作物が実をつける時期でもあります。栗や銀杏、他にもイモ類、山野には果樹をはじめたくさんの実をつけます。これから冬に向けて、生き物たちは冬支度をはじめますがこの秋の食べ物の御蔭で冬を乗り越えることができます。
今では季節感もなく、あらゆる食べ物がある程度は食べれるようになっていますがむかしは旬のものしか食べれませんでした。その季節にしかできないものを、その季節で食べるというのは季節の変化に順応して自然と共生して生きていく一つの仕組みです。
自然に逆らうのではなく、自然に沿って生きていくというのはすべてのいのちは生産するという循環の理に従っているともいえます。
現代の人類は、消費文明といって生産をやめて消費をすべてにおいての最良であり優先事項とした世の中にしていきました。生産と一般的に言われるものは、消費に対しての生産であり本来の自然界では消費という言葉がありません。当然、ごみというものもありません。
すべてはみんな生産しているのであり、生産しあう中に循環があるだけです。死も生産の一部であり消費ではありません。
現代社会の病巣の最も大きなところの特徴はこの消費という概念をもって、一方的に経済を拡大してきたことのように私は思います。消費し続けることに欲望は増長して、消費こそが幸福のために必要だと刷り込んでいきました。
消費するものを称賛し、より消費できるものを発明してはその人たちが大金持ちになり権威や権力を確立していきました。消費しなければ、富の一極集中も存在せず国家も維持できないと教え込み、人類がすべて消費するで豊かになると信じて邁進していきました。
しかし消費というのは、確実にいのちを消耗していきます。いのちは生産するから永続するのであり、その生産とは、消費のない世界を実現する循環に生きるということです。
地球も消耗していますし、人間の肉体も消耗を続けています。その証拠に枯れるのではなく、腐るようになりました。他にも、自然の五感が閉じて知識ばかりが増えていきました。
時代の節目に、これから子孫のためにどうあるかは世代が真摯に向き合う必要があります。生産するというのは、自然の法則に従ってただあること、ただいること、存在に感謝することからはじまります。
暮らしフルネスで実践していくことや、徳積というのは循環の意識改革の一つでもあります。生き方を磨いて、子孫のために真の循環を伝承し学び直していきたいと思います。