人類の原点

昨日、ある方と会食をする中で「コモンズ」についての話をお伺いする機会がありました。これはデジタル大辞林から抜粋すると、「コモンズとはもともと、草原、森林、牧草地、漁場などの資源の共同利用地のこと。地球環境問題への対応が求められる中、グローバル・コモンズ(global commons)たる地球環境の保全にも示唆を与える営みとして、再び脚光を浴びている。近年では、自然環境や自然資源そのものを指すというよりも、それぞれの環境資源がおかれた諸条件の下で、持続可能な様式で利用・管理・維持するためのルール、制度や組織であると把握されている。」とあります。

私有でも公有でもなく、自然の姿をあるがままに共有するという意味でのコモンズということでしょう。

これは当たり前のことですが、現代の人類社会では非常に難しいことです。所有権というものを保障されて、今では火星や月にいたるまで線引きしてはどこが持っているのかということを競い合っています。あるいはこれから新しい星が発見されて、そこに自分の国、あるいは地球連邦の旗さえ立ててしまえばそれで私有も公有も保障されるのです。一度、そうしてしまえば勝手なことは一切できなくなります。

日本では、空き家や空き地の問題というものがあります。すでに、全部を合わせると九州くらいの土地が手が付けられずに放置されて荒廃しています。そもそも誰の土地化もわからないようなものを一切利用できずに、放置されればそこが色々と問題になってきます。今の人類の制度がかえって色々な問題を引き起こしています。

本来の人と地球、人と自然、人と宇宙などの関係性を見直す時機に入っているということなのでしょう。

実は、私はこのコモンズという思想や発想はよくわかります。それは故郷で唯一残った伝統固定種の高菜を育て守っているからです。そもそもこの種の所有は誰のものなのか。一般的には、私が守っているのだから私のものとして周囲は見るでしょう。

しかしこの伝統固定種を守っている側からすれば、これは1200年以上むかしからこの土地で先人たちが守ってきたものです。つまりはみんなで守ってきた共有財産です。私はこの種をちゃんと守り育てる人に配布していますし、一緒に育てるように場を創造しています。これはそもそも私有でも公有でもなく、共生するために必要だからです。

自然界というのは、共生で成り立っています。この共生とは、自然と一緒に生きている仲間という意味です。私たちは、いくら仲間を排除して自分が管理してわが物のようにふるまってもその実、一人では生きていくことはできません。社会というのは、人間社会だけで存在しているのではなくあらゆる自然社会と共生してはじめて生きていることができるのです。

当たり前のことですが、すでにこの当たり前を忘れるほどに成熟してもはや所有できなくなるほどに埋め尽くされた人間の欲望はそろそろ原点回帰するときをむかえているようにも感じます。

自然と循環していくことは、共生の場を調えていくことです。種を守るように、文化を守り、そして子どもたちの未来を守るのです。まさに共存共栄こそが、人類の原点でしょう。

新しいご縁に感動して感謝しています。これからもよろしくお願いします。