昨日は親友のお通夜に参列してきました。取り乱さないようにと心の準備をしていきましたが親友の弟があまりにも本人に似ていてすぐに取り乱してしまいました。亡くなってもう生きている姿に会えないと思っているからこそ、生きているような彼に似た姿に動揺してしまいます。面影というのは、心の中にいつまでも生きていることに気づかされました。まだどうしても存在の面影を追いかけてしまいます。
またそこで15年ぶりに再会した幼馴染と会いました。いつも親友を含め3人で色々な哲学の話や、世の中のこと、そして人生のことなどを語り合った仲でした。親友を偲び、彼の大好きだったお酒を囲んで出会った時からのことを思い出しては昨日のことのように語り合いました。3人で集まるのを誰よりも楽しみにしていた親友でしたから、昨夜はきっと喜んでくれたと思います。
私にとっては唯一無二の親友でそしてもっとも近くにいたよき理解者でした。
私は行動したり実践するのを先にするので、よく周囲に誤解されます。また色々とあることないことを言われることも日常茶飯事です。そのたびに、予想もしなかった人間関係のトラブルに巻き込まれたり本質的ではない政治的な問題などにも引っ張り込まれそうになることもあります。そんな時、真心の自分や本当の目的、そして純粋な願いや純度の高い祈りのような生き方を裏表も全部見守ってくれているよき理解者に心を救われることがあります。
親友は、私にとってのよき理解者でした。ただ、それだけで有難い存在で心強い存在でした。彼とのやり取りを思い返していたら以前、いただいたメッセージが出てきました。
『君の残した足跡は、必ず後世に残り、同じ志しを共有してこの世に残ると思います。ヒントを残し、次世代に伝えましょう。一代で完結は出来ない、増大な出来事だ。』
いつも近くで見守ってくれて大事な時に心から応援してくれていました。どんなに苦しい時も、ただ身体を心配してくれて話を受け止めてくれていました。言葉にしなくても、以心伝心していたように思います。何も言わずにわかってくれている、そして何をするわけでもなくじっと信じてくれている。その存在に何度も救われてきたように思います。
肉体的に存在し共にこの先の愉快痛快の充実した事の顛末を酒を酌み交わしながら見せてやりたかったなと思いますがそれはなくなりました。あとは物語の続きをやりきって冥途の土産話をたくさん持っていきたいと思います。
昨日は、親友の棺の前で祝詞をあげて法螺貝を吹きました。音は親友の魂に無事に届いたでしょうか、きっと聴こえただろうと思います。どうか安らかに、またどこかで巡り会いたいと思います。
一期一会。
これからも自分のよき理解者として自分を生ききり、親友の魂と共に彼の言葉を胸に宿し直向に歩んでいきたいと思います。