ご縁とバトン

昨日は、英彦山の守静坊で長野覚先生とご縁のあった方々と一緒に過ごす時間がありました。私は生前のことをほとんどご存じあげませんが、あとから生前に親しくされていた方々から色々なお話をお伺いすることがあります。

教員としてとても生徒を大切にされていたり、歴史の伝承者たちと真理を深く追求していたり、また破天荒な行動で周囲を驚かせたりと、色々な姿が垣間見えます。たくさんの姿から生前のことを想像しますが、いまだによくわかりません。しかし共通しているのは、人徳のある愛情深く、面倒見がよかった人物であることは伝わってきます。

人は関わる人において、その人の見え方も異なります。人との関係性によって、お互いの理解が変わりますから人は半分はその人と同質のものをもっておりそれに反応しているともいえます。

深く関係した人たちのことを観ると、その繋がりがどのようなものであったのかということも理解できるのです。

今ですら動画やインターネットで、写真が残ったり文章が残りますがむかしは紙媒体のみでしかもほとんどが人づての伝承になります。伝承するのに、それぞれがしゃべることで伝えあっていく。そこには思いもあって、願いもあります。この先、どのように歴史が伝承されていくのかも自覚するのです。

時代と共に、歴史を省みると大変な世代もあるように思います。迫害されたり、歴史から抹消されたり、世の中の進む方向と真逆の価値観であったりと、災難や苦難を非情に与えられた世代もあります。

その世代からまた次の世代へとバトンは繋がれ、また次の方へのバトンを渡します。法灯は消えないともいいますが、いつまでも続いてそれが結ばれるから人のご縁は豊かなのでしょう。

宿坊の手入れをしながら、丁寧に今までのことを整理しています。何を甦生することがもっともこの場の持つ意味や徳を引き出すのか。引き続き、真心と誠意をもって取り組んでいきたいと思います。