別の道

歩くことを深めている最中に、骨折をして歩けなくなってしまいました。一本歯下駄を履いて宿坊の石階段や湿った土をうまく歩けずそのまま倒れてしまい身体を支えていた脚の甲の骨がパキンという音と共に折れてしまいました。

骨折は40年ぶりで驚きましたが、それよりも遊行をはじめてあと90キロほど残っているところで歩けなくなるという状況に驚きました。同時に、今月は友人や同志たちの文化伝承の行事のお手伝いにいく予定だったのと一緒に歩くのをサポートしていただく方々に申し訳ない思いです。捻挫や簡単な骨のヒビくらいなら歩こうとしましたが、医師からは完全にストップされ安静にしています。

これも遊行の醍醐味と、遊行は引き続き深めながら歩くことの有難さ、そして日常を支えてくださっているあらゆるものへの感謝を感じていきたいと思っています。

そもそもこの一本歯下駄は天狗下駄とも呼ばれ山伏や僧侶などが山で修行を行う際に履いていたとされ、それは山の傾斜を上り下りする際に大変便利であったためだと考えられています。大地に対しで平行に保つのにはこの1本が歩きやすいのです。ただ、横移動など、難しく私の場合は高い段差と横移動と杖がうまく調わずに倒れてしまいました。治ってからまた履くのは少し不安になりますが、下駄の問題ではないので色々と丁寧に向き合ってみようと思っています。

人生は思い通りにならないことの連続です。道を歩めば、歩けなくなることもあれば走れなくなることもある。橋が濁流で流されることもあれば、見失い迷子になってしまうこともあります。それもまた道ということでしょう。

目的地がなくなるわけではなく、別の道があったり、今は休めと言われたり、あるいは新たな道が観えてきたりと道は無窮です。

歩くことは少しお休みし、治療を優先しては別の道を辿ります。どの道も諦めなければ面白い道に出会い目的地に近づきます。子孫や未来世代のためにも、体験を活かして学び続けていきたいと思います。

歩こうとすること

先日の遊行を通して歩くということを改めて考え直しています。現代は交通機関が発達し田舎でも車社会になってほとんど歩くことはありません。この歩くというのは、単に二本足で移動するということのほかに、自然に帰るということがあるように思います。呼吸をするように、本来は人間は歩く動物です。犬も猫も、あらゆる生き物はそれぞれに歩くことを已めません。歩くというのは、生きるということであり道を歩むということもあります。

例えば、私たちの身体は重力によって支えられています。無重力で歩けとなると今のように歩くことはできません。そう考えてみれば、私たちは歩くことで筋肉や骨、血液からあらゆる肉体の機能が活動し調うようにできています。

じっと動かずに寝ていたら人間は筋肉が固まってきます。寝返りも打たなければそのままでは問題がでてきます。つまりいつも体はこの地球の重力と連動して今の状態を保っているということになります。

よく変な姿勢を続けたり、座り続けたりするとのちに神経痛や骨格の病気になったりします。これも歩くことで調えていれば予防できるようにも思います。

つまりは私たちは静止しているよりも、歩くことの方が本来の中庸を保ち、自然の一部になりやすいということになるのではないかと思うのです。

また歩くことで呼吸も整い、歩くことで全身の筋肉をほぐしていきます。その調和の状態は当然、脳にも心にも大きな影響を与えるように思います。そしてその時、私たちは脳で考えるのではなく身体で考えるようになるのです。

身体で感じたことを頭で気づくときに、人は全身全霊で妙智にたどりつくものです。歩くというのは、歩こうとしないと歩けません。この歩こうというのは、考えようと思うことです。この考えようとするのは、真理や本質に辿り着こうとするものです。

歩くというのは、それだけ考えることと一体でありその中で感じ合うものかもしれません。引き続き、遊行を通してさらに一歩ずつ丹精を籠めて歩いていきたいと思います。

家に選ばれる生き方

現在、古民家というものはあまり価値がないものになっています。特に日本では、土地の方が価値があり家の方はほとんどは価値がないと売買されているところがほとんどです。産業革命以降、家もまた物質の一つとなってしまい本来の家の持つ意味や価値も変容していきました。

もともと、建物は単なる物ではありません。そこには場があり、いのちの宿り、私たちが生きているように家もまた一緒に生きています。私たちが家に帰れば安心するのは、生きている家に住んでいるからです。「ただいま」と「おかえり」とあいさつをします。この言葉は、武士の挨拶が語源だといわれます。

「よくご無事でお帰りなさりました」そしてまた、「いってきます」と「帰ってきます」を合わせ、”今から出かけます、そして帰ってきます”と再び帰って来ますという意味が込められた言霊だともいいます。

家は、出発点であり終点でもありいつもそこに自分が居るという只今の場所でもあります。それは単なる持ち物ではなく、自分の心身の置きどころでありいのちの根があるところともいえます。

私がお手入れし共に住む家は、どこも深い歴史を持っています。その先人たちや先祖、そして地域の中で大切に建っている場所を丁寧に調えて暮らしを紡いで伝承しています。

これは単に家を買い取ってリノベしてオシャレに改装して、それを転売しているのではありません。そこに流れている縦の文化、そして暮らしの伝承を継続して前よりも美しく磨いて未来世代へと紡ぐために行っています。

仲間が増えていくことは有難く、単なるモノ好きな人ではなく純粋な伝承者が集まっていくように家もまた人を選び、そして人もまた家に選ばれて磨かれていくのです。

資格というのは、今は誰かが基準を決めて評価されて有資格者になりますが本来は家がその人を選び、選ばれた人がそこで暮らしを磨いていくことで真に資格のあるものに変化していくものです。

私の言うお手入れとは、そういう日々の暮らしの中の伝承を通して徳を磨き、その家やその場所に相応しい人になっていくための修養の一つです。

故郷にはまだまだ先人の遺徳がのこっています。未来世代が少しでも豊かな心が伝わっていくように、伝道していきたいと思います。

暮らしの中の遊行 2

昨日は、英彦山の豊前坊から山国の豊前坊屈まで約25キロを遊行しました。急遽、イタリアの舞台芸術家も飛び入りで参加することになり道中の豊かさが増しました。特に、大雨や強風、そして倒木など悪路のなかの遊行でしたが時折、応援にかけつけてくれた友人やお手伝いしていただける方の御蔭さまで心地よく暮らしを味わっています。

そもそも日本人は元来、暮らしを通してあらゆる芸術を生活文化の域において達していたものです。特定の芸術家がいなくても、人々は暮らしの中でその芸術のすべてを豊かに享受されてきました。例えば、民藝、手仕事などはほとんど芸術品です。あるいは、古民家一つとっても生活の中で如何に豊かに遊んでいたかがわかります。

私たちの美意識というものは、すでに暮らしの中で醸成されており、たとえ厳しい自然や政治的な貧困や戦争があった時であっても、茶道であったり、踊念仏であったり様々な創意工夫を通して暮らしの中の知恵を発揮してきました。

私が取り組んでいるものもまさにこの暮らしの中のものです。暮らしフルネスというものは、そのすべてを暮らしの中で実現させていくということに他なりません。宗教でもなく、哲学でもなく、特別な資格も必要ではなく日々の暮らしの中で自由自在に遊ぶのです。そういう人物のことをむかしは仙人と呼んだのかもしれません。現代の仙人はどこにいるのか、私は暮らしを楽しむ中にこそ存在しているように思います。

遊行というのは、今を味わいつくすものです。これを禅では三昧ともいいます。今を味わいつくすという境地はどこにあるのか、それは日々の暮らしの中にこそ存在します。私が「暮らしの中の」というのは、この今を連続する日々の生死の呼吸の瞬間瞬間にあるということをいいます。そしてその瞬間瞬間のことを遊ぶといいます。子どもたちが、好奇心で遊んでいる姿の中にこそすべてを捨てて天命を生きる歓喜を感じます。

遊行の喜びは、一期一会の喜びということでしょう。

しかし、道を歩んでいくのは一つ一つの執着との正対でもあります。あれやこれやと妄念や妄執もでてきますが歩みを進めていくなかで様々なものがそぎ落とされていくものです。そして、一緒に歩く人たちの清々しさを分かち合うものです。

旅に持っていけるものはほんの少ししかありません。秋の静寂と山粧う景色と枯れた音と侘びた風に心も吹かれます。

徳が循環するのを肌身で三昧しながら、暮らしの中の一生を先人たちと共に伝承していきたいと思います。

教え導く

昨日は、英彦山守静坊の前当主である故長野覚先生の高校教師時代の教え子たちが50年ぶりに宿坊にきて同窓会をされました。恩師のお墓参りとご供養とあわせてみんなで集まり宿坊で会食されました。

高校時代のアルバムを見せていただきましたが、皆さん今もむかしも素敵なお顔でお互いを思いやりながら宿坊までの遠い道をはるばると訪ねてくれました。

こうやって同窓会で集まれるのは長野先生が素晴らしい先生だったからと仰っていたこと、そして長野先生を悪く言う人は一人もおられなかったと仰っていたこと。実直でどんな生徒にも保護者にも誠実に見守り、とても面倒見がよかったと仰っていたこと。温かい思いやりのある人柄を感じました。

私は生前の長野先生のことをあまり存じ上げておらず、お亡くなりになってから人づてに人柄や功績、生涯をかけて取り組んでこられたことやそのお仲間の存在などにご縁によって気づかせていただきました。

みなさんからの言葉で生前とても徳の高い立派な方であったことが伝わり、その御蔭でそれぞれの人生が善くなったというお話をお聴きすることばかりです。

もともと代々、この守静坊は宿坊の坊主として何百年も前から人々を教化してきました。この教化というのは、「教導化益」の略称で、徳をもって人々を正しく善に導くことを意味します。 この教化は自らの体験、実践する姿をもって相手を導くものであり強制は行わないといいます。仏陀が、自然に人々を仏道に導いたように生き方を学び、その生き方から善を薫風されたのです。

道元禅師が、故人いわく 「霧の中を行けば覚えざるに衣湿る〟. よき人に近づけば、覚えざるによき人になるなり 」といいます。

環境が人を導き育てるのですが、その環境をつくるのもまた人であるということでしょう。善き指導者、先生と生徒が共に徳を磨き合い、一期一会の場をつくる。

そこには宗教者だからではなく、有資格者だからではなく、名声や肩書や権威があるからでなく、人々を教化するために自らの徳を磨き上げていこうとする生き方と志、そして覚悟があるようにも思います。

何をもって元来そなわっている人のもっている善徳を伝承するといえるのか。私は道元禅師の「水鳥の 往くも帰るも 跡絶えて されども道は 忘れざりけり」を思い出します。

私は守静坊や長野先生のご遺徳を偲びながら、この守静坊のもつ道や環境の意味を深く見つめ直しています。

ありがとうございました。

捨聖の甦生

空也上人の生き方に憧れて遊行を実践した人物に、一遍上人がいます。この人物は鎌倉時代の方ですから空也上人が逝去されてから270年後の人物になります。一遍上人特に止住する寺をもたず、一生涯全国を巡り、衆生済度のため民衆に踊り念仏をすすめ、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)といわれた方です。

その一遍上人が門人への説法で空也上人がどういう人物であったかを語られています。そこには、こうあります。

「また上人、空也上人は吾が先達なりとて、かの御詞を心にそめて口ずさび給ひき。空也の御詞に云(いわく)『心無所縁(中略)譲四儀於菩提《心に所縁なければ、日の暮るるに随つて止まり、身に所住なければ、夜の明くるに随つて去る。忍辱の衣厚ければ杖木瓦石を痛しとせず。慈悲の室深ければ、罵詈誹謗を聞かず。口に信(まか)する三昧なれば、市中もこれ道場。声に随ふ見仏なれば、息精即ち念珠なり。夜々の仏の来迎を待ち、朝々最後の近づくを喜ぶ。三業を天運に任せ、四儀を菩提に譲る》』と。

木造空也上人像にある、口から迸る六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若)の実践とはこのような遊行の姿を示されたことがわかります。暮らしの中で、生き方として念仏の生き方を実践されたことが何よりも尊いと感じます。遊行のなかで如何に暮らしの徳を磨いていくか、まるで仏陀のような生きざまに感銘を受けます。

またこうもいいます。

『求名領衆(中略)更盗賊怖《名を求め衆を領すれば身心疲れ、功を積み善を修すれば希望多し。孤独にして境界なきにはしかず。称名して万事を抛(なげう)つにはしかず。間居の隠士は貧を楽とし、禅観の幽室は静なるを友とす。藤衣・紙の衾はこれ浄服、求め易くして、さらに盗賊の怖れなしと》』

閑居で暮らせば貧も楽しく、座禅のように暮らせば静寂であることが仕合せである。シンプルな衣装や紙の袋は手に入りやすく清浄である、それに盗賊に奪われるものもないとあります。

「上人これらの法語によりて、身命を山野に捨て、居住を風雲にまかせ、機縁に随て徒衆を領し給ふといへども、心に諸縁を遠離し、身に一塵もたくはへず、絹帛の類を膚にふれず、金銀の具を手に取る事なく、酒肉五辛をたちて、十重の戒珠をみがき給へりと云々。」

このように空也上人は、いのちは山野に捨て居住を持たず云々とあります。つまりは、色々なものを手放してそぎ落とされて顕現した徳そのものの姿があったように思います。

今の時代でも空也上人のような生き方ができるでしょうか。この時代のことに思いを馳せてみると、政治的な宗教が盛んな世の中で民衆の中で何も持たずにただ遊行している姿で歩んでいく僧がいる。

文字も読めず学識もそんなにない民衆に、さらにいうなら言葉も異なり地域の特殊な文化があるなかで普遍的な徳の生き方を伝道し伝承していく、ただ南無阿弥陀仏と唱えるだけでいいと。そして上記のような、六波羅蜜の姿を体現してみせること。

そぎ落とした先にあったのがこの念仏だったと思うと、今の時代でもこれはとても大切なことがわかります。知識をつけて、みんな言葉も文化も理解している世の中ですが苦しみは相変わらず増え、さらに執着や欲望や争いは際限なく拡大を続けています。

手放したりそぎ落としていくというのは、私の言葉では「磨く」といいます。磨いてシンプルにしていくことは、足るを知る暮らしを甦生することになり一人一人が徳に目覚める生き方になっていくように思います。

先人の遺徳を偲び、その道を後から踏みしめながら道を甦生させていきたいと思います。

 

遊行の源流

暮らしの中の遊行巡礼をはじめると、空也上人とのご縁が出てきました。もともとこの空也上人という方は平安時代中期に活躍した念仏僧で、阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも呼ばれています。生れは延喜3年(903)とされ、醍醐天皇の皇子とも言われています。

もともと空也上人は、「優婆塞」と呼ばれ、「俗聖(ぞくひじり)」とも呼ばれていました。得度しても僧名の光勝を名乗らず自らは空也の沙弥(しゃみ)を名乗っていたといいます。

「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら道路や橋、井戸や寺院をつくり町中を遊行して乞食し、布施を得れば貧者や病人に施したと伝承されています。そして遊行のありさまは絵画や彫刻にあるように短い衣を脛高(はぎだか)に着て草鞋(わらじ)を履き、胸に鉦鼓(しょうこ)台をつけて鉦(かね)を下げ、手に撞木(しゅもく)と鹿角杖(わさづえ)を持ち行われていたといいます。この遊行の鑑のような生き方をなさっておられた方でその後の一遍上人などにも多大な影響を与えています。

有名なものに木造空也上人立像があります。死後250年以上経ってから制作されたものですがまるで、目の前にいるかのような一度見ると忘れられない像です。これは運慶の四男 康勝の作といわれます。一様に首から鉦(かね)を下げ、鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち、草鞋履きで遊行する姿です。6体の阿弥陀仏の小像を針金で繋ぎ、開いた口元から吐き出すように取り付けられています。

これは「南無阿弥陀仏」の6文字を唱えると、空也上人が阿弥陀如来の姿に変わったという伝承を表しているからだといいます。

六波羅蜜を遊行を通して実践し、それがその時代の人々の心を癒し苦しみを安らげ、心魂を鎮めたのかもしれません。

また私は鞍馬寺に深いご縁がありますが、空也上人が鞍馬山に閑居されていた話も知りました。その閑居していたときに、いつも鳴いている鹿を愛していましたが定盛という猟師が射殺しました。これを知った空也は大変悲しみ、その皮と角を請い受け、皮を皮衣とし、角を杖頭につけて生涯離さなかったといいます。また、鹿を射殺した定盛も自らの殺生を悔いて空也の弟子となったともあります。これは英彦山の伝説とも似ていて共通点があります。そのことから鞍馬寺は浄土教の聖地として発展したといいます。鞍馬山にはその旧跡という「空也の平」という名の場所もあるそうです。

大分では国東に空也上人の開基した興満山興導寺というお寺もあります。また九重町の宝泉寺では空也上人が諸国遊行の途中この場所に経ちより農家に宿泊したお礼として持っていた杖を大地に立てたといいます。その杖がのちの大杉となり、天禄三年(972)この地に大地震がありその大杉が倒れたあと根元より突然温泉が湧出したといいます。そこで驚いた村人たちは、わき出る温泉のほとりに一宇の寺院を建立して空也上人が宝の泉を下さったということで寺を平原山宝泉寺と定 め本尊に空也上人と大日如来を安置したという伝承もあります。

歩きはじめて、まさかのご縁がこの空也上人でした。てっきり法連上人かと思い込んでいましたから、道はやはり歩いてみなければわかりません。引き続き、遊行を深めながら知恵を学び直していきたいと思います。

道を辿る

昨日は、英彦山の守静坊で暮らしの遊行と巡礼の安全祈願をし霊泉寺、鷹巣観音堂といった日本最古の観音霊場の一番札所に御祈祷をして歩きはじめました。

銅の鳥居の横には、鎮西上人の像がありここでも初心を確認して祈りました。もともと、この鎮西上人は若い頃、飯塚の明星寺から英彦山までの千日回峰行を実行されてます。また、浄土宗の開祖である法然上人の供養を英彦山権現とともに行ったともあります。

もう八百年も前の話ですが、今でも像が建立され語り継がれているものです。

観音霊場巡りでは、今から千三百年前、宇佐の仁聞菩薩と法蓮上人により開創されたとされます。今、こうやってまた歩いていたら先人の遺徳を感じて仕合わせな気持ちになります。

私たちの道というのは、普通に歩いていますが自分たちよりもずっと前に歩いていた人たちがいる道を同じく歩いているともいえます。

山間の古道を歩いてみても、誰もいませんが懐かしい気配は思いを馳せると実感します。こうやって懐かしい道を辿ることで道は途絶えません。

歩くという行為は単に、ウォーキングをしているのではありません。

道を守り、道を創るのです。

これから国東の六郷満山までの道のりは、道の旅です。

先人の歩いた道を三昧したいと思います。

暮らしの中の遊行 1

念仏という言葉があります。この念という字は、今の心と書きます。もともとのこの「念」は、心に思うことを意味するサンスクリット語「smŗti」の漢訳だといわれます。仏という字は、サンスクリットのbuddhaに「佛」という字を新たに作成して音写したともあります。これは「人」+「弗」(音符)の形成文字であり、この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉でもあると。そして仏という字は簡略化されたものとも言われますが、古来からあったともいいます。

つまり意訳ですが、この念仏というのは今に集中しすべてを捨て去るという意味にもとれるように私は思います。つまりは、自然にあるすべてと一体になり自然そのものと結ばれる境地に入るようにも思います。

自然というものは、宇宙でもいいし地球でもいいです。人間の妄念や妄想を取り払ったものです。人間は妄念や妄想に執着すると、鳥の鳴き声もきこえず、季節の変化にも気づきません。人間の妄念や妄執に振り回されていると、毎日はただ忙しさに呑まれて流されていきます。気が付くと、保身や心配事ばかりで今に集中することができず、未来と過去を行き来するばかりです。

苦しみは今ではないこと、どうにもならないことに時間を使い、そのために不安や心配ばかりが増えていきます。特に今の時代は、情報化社会で仮想空間までつくりあげその妄執や妄想を発展させていきました。頭でっかちになっていると、本来の自分という心と自然と一体になったような感覚が失われまるで何かにとりつかれたように生気を失ってしまうものです。

900年代の遊行僧に空也上人という方がいます。この方の言葉で私はとても尊敬しているものがあります。

「山川の末(さき)に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」

これは栃の実が川に流されてどこにいくのかわからなくても、身を捨ててこそはじめてどこかにたどりつくだろうという様子を詩にしています。今にも溺れそうな執着の渦の中であっても、思い切って来たものを選ばずに身を捨ててしまえば溺れずにどこかの瀬にたどりつくこともあるだろうという境地です。

人は、あれこれと自分の思い通りになる人生を歩もうとするものです。それがもっとも争いや苦しみを生むとわかっていてもやめることができません。しかし、思い通りにならない人生の中にこそ、本当の自分らしい人生があると身を捨ててしまえばそこに自然に道が開けるというものがあるように思います。

私のこのブログのかんながらの道というのもまたそういう道のことをいいます。私は何かをブログで教えたり知識を得たものを忘れないためにだけ書いているのではなく、こういう生き方をした人がいることで誰かの元氣や仕合せに結ばれていけばとも願って綴っています。

ご縁と結ばれるものを丸ごと信じて選ばない生き方こそが、阿弥陀如来さまの達した境地なのかもしれません。私はお経のことはまだ調べてないし読んだことはありませんが、小さいときから南無阿弥陀仏とは唱えたものです。気が付けばその結縁をいただき、暮らしの遊行の道が開かれました。

本当にありがたいことす。

本日から、人生で初めて英彦山から国東までの「暮らしの中の遊行」を開始します。共に歩いてくれる無二の友と同行二人で歩いていきます。多くの方々に見守られ、この時代でも徳が循環しあう経世済民の世の中を祈り、そして大切な子どもたちを守るために実践をはじめます。

この時がはじまりだったといわれるようなものになるかもしれませんが、今の心、念仏と共に祈り歩いていきたいと思います。

暮らしフルネスの秋

暮らしフルネスで暮らしを調えることは、病気にならない生き方に似ています。そもそも病気は、病気になってからでは間に合わず病気にならないような日々の暮らしを調えることに軸足を置くことからはじまります。

例えば、当たり前のことですが季節を感じながら五感を調える。生活リズムを自然に合わせる。旬なもの、またいのちが豊富にあるものを丁寧に食べて調える。呼吸を整え、今ここに集中して心身を調える。またよく歩き、重力や自らの身体の動きによって身体を調えるなど色々と暮らしを調えることができます。

医者にも、色々な医者がいます。今は緊急事態で応急処置ができる人がよい医者といわれますが、本来は病気にならないように見守って日頃から病気の根源や原因を防ぐような人がよい医者ともいわれました。今のような保険診療や補助金のようなシステムになってからは、診察や薬を出さなければ生計が成り立ちませんから名医はみんな治療する医者になってしまいました。本来は、病気にならないようにする生き方の模範が名医だったように思います。僧侶やむかしの医師はきっと、健康で長生き、そして精神も心身も調えることを日頃から実践されていた方だったように思います。そしてそういう生き方を目指して取り組まれていたのでしょう。

私も暮らしフルネスを実践していますが、自分が完璧にそれができるから提唱者というわけではありません。自分もそうありたいと挑戦をし、一進一退しながら七転び八起きをしながら日々に取り組んでいます。心も精神も体も調えるというのは、暮らし方を磨き続けていかなればできません。

今日は、昨日よりも少しできた、またはできなかったと反省しながら感覚を磨き、徳を積んでいくのです。しかしそうやって実践していくなかで本当の自分、本来の自分というものを忘れなかった一日はとても豊かで幸せです。

できた人がすごいのではなく、できない人がダメなのではない。大事なのは、先人の生き方を尊敬して自らも暮らし方を見倣って子孫のために精進していこうとする思いや行動にこそあるように私は思います。

引き続き、秋のこの静かで澄み切った月夜や空気に包まれながら晩秋の暮らしを味わっていきたいと思います。