見ず知らずに他人が知り合いになり、その関係が深くなっていきます。人の幸不幸は出会いが決めるという言い方もしますがお互いの記憶の中で結んだ関係がお互いの喜びや悲しみ、苦しみや安らぎにもなるということです。
ご縁が人生ともいえるのは、その思い出や記憶が自分の人生ともいえるからです。だいぶ思い出せなくなってきても、仲間や友人がその時のことを鮮明に覚えていたりもします。懐かしい友人との思い出話は、その頃の記憶を呼び覚まします。そしてその時の感情や思い、出来事から学んだことや気づいたことも思い出します。
もう随分むかしのことで忘れて失われているようでも、その時のご縁があった人や物、場所に触れると失われずに自分の中に生きていることがわかるのです。こうやって、体験した記憶というのはどこかいつまでも自分の生と共にあります。
たとえば、懐かしい場所というものがあります。自分は覚えていなくても、先祖や先人たちが深く関わったところなどもどこか心が落ち着くものなどあります。私の記憶ではなくても、先祖の記憶が自分の何かに宿っているのを感じるものがあります。
それは物でも同じです。私は古民家甦生をするので、古いものに触れることが多いのですが触っていると何かそのものが何かの記憶を持っているのを感じます。それは傷跡から感じたり、丁寧に手入れされていたものなどに触れると感じるものです。
つまり記憶や思い出というのは確かな事実であり、失われることは永遠にないということでしょう。ただ、それを思い出す人たちがいるということです。思い出すには、私たちもその先人たちの記憶のなかで同じように歩み続けていく必要があります。ある時、思い出すのはその場所にそのものにその人にまた再会するということです。
長く生きていれば、何度も再会する人もいれば再会しない人もいます。しかし子孫は、姿形を換えて何回も巡り会うこともあります。道は無窮で奇跡の連続です。
ご縁を大切に、心を静かに、さらに美しい記憶を創造していきたいと思います。