場と気の流れ

私たちは場を考えるとき、空間というものの中にあるものを捉えます。空間は空っぽではなく、その空間には気が宿ります。この気というものは、気の流れともいいますがそれぞれが結ばれて気を関係しあうことで空間の中に絶妙な調和をもたらすものです。

例えば、自然界でいってもどの位置に山があり谷があり川があるのかでもその空間の場の空気は変わってきます。よく空気が美味しいという言い方もしますが、そこには空気を美味しくするような場が調っているということです。

これは空気に限らず、水でも火でも、絶妙な調和をもたらせている場所が力を宿す場になっているということです。むかしからそのような場所は、祈りの場所にしたり、癒しの場所にしたりと工夫されてきました。

私たちの感じる居心地のよさというもののまた調和をするときに感じるものです。つまりこの調和を本能的に自覚しているということになります。安心ともいい、喜びともいいます。

こういう場づくりはどのように行うのか、私は自然の中にその調和を見出していきます。そこにはそうなるように絶妙に仕組まれた経緯があります。その経緯を読むのです。

経緯というものは、ご縁とも言い換えることができます。これでは抽象的になりますが、実際には場と縁というのは切っても切り離すことができないものです。このお互いの関係性に気付けるかどうかが善い場を形成するための要諦になります。

ある山に入り、光と水と風、そして木々と音と火や煙、土と岩の絶妙な場所で人が祈る。これだけでもそこには見事な調和や場が誕生します。

つまりこれは気の流れの話です。気をどうするのか、気をどうしたのか、これはその気が観えていること、気を動かせる人、気を鎮められる人というように調和に導く存在の関係性の中で醸成されていきます。

私が場の道場のなかで特に磨いているのはこの一点といっても過言ではありません。この気の流れを読む力は、日々の一期一会のご縁を大切にしていく生き方によって高まっていくものです。

何のために場をつくるのか、この問いが大事になります。

引き続き、子どもたち、子孫のためにも廃れていくものを拾い集め、本来のいのちを場に置き換えてさらなる徳を磨いていきたいと思います。