自然の羅針盤

来週末にいよいよ三浦梅園先生の生家で生誕300年の行事を行います。300年前と同じ間取りで生家が残っているということも奇跡ですが、その風景や暮らしの気配も残っているのを実感できることもまた奇跡です。

今から300年前というのは想像できるでしょうか。3年の10倍が30年でその10倍が300年です。日にちで計算すると109575日、時間にすると2629800時間です。一般的に人間は自分の一生くらいしか、実感できる感覚は持っていないものです。例えば、1万年といわれてもピンときませんし、46億年といわれても相当長い時間かかったくらいの認識でしょう。

人間は時間というものを考えるのも、人間の知識によって創作されています。そもそも自然には時間というものがあるのか。そこから疑う方が本当の時間というものを認識するのにいいのかもしれません。禅の道でも今しかないといいますが、自然には時間はなく今のみだと私は思います。

この今のみとういう、感覚は過去や未来の今ということではなく流れている最中の今のことです。滝行をすると、よくわかるのですが流れている水の中に身を投じると流れているものの中に入ります。流れているそのものを感じるとき、私たちは今を味わえます。自然も同様に頭で考えるものではなく、ずっと変わり続けていることを感じるようなものです。しかし人間は知識を持ち、頭で考えるようになっていきましたからこの感覚は微睡んでいきました。今では、もうそれがどうだったかを思い出すこともありません。

毎日の喧騒に追われる中で、ほとんど人はこの自然の時間という今のみを感じることはなくなりました。マインドフルネスとか色々とビジネスに取り入れていますが、不自然だなといつも感じます。そのマインドフルネスですら、効率をあげたり効果を出したりと人間の作為が働いています。結局、人間のみの優先される人間の世の中にしてしまうことで私たちはもともとある普遍的な道を感じる力を失いました。

しかし、今もむかしもどんなに世間が人間優先であっても上手にバランスを保ち、徳を積み、先祖や子孫のためにと今を善くする実践を貫いた人たちがいます。その人たちは、真に天命を生き、自然と調和して暮らしを遺してくれました。

まさに時代の羅針盤です。

その羅針盤において、最も自然の羅針盤を持つ人こそ三浦梅園先生だったのではないかと私は思います。それは生家や墓場においてそれを直感することができます。人間は知識とは別に意識というものがあります。意識は磨いていけば、澄ませていけば感覚的に直観できるものです。

大切な人類の節目に、今こそ自然羅針盤が必要です。時間を超越してメッセージを発信していきたいと思います。