現代の慈悲無尽講

現在、保険や共済など当たり前に日常で使われていますがこの仕組みが生まれる歴史というものがあります。むかしから危機に備えるための仕組みというのは、私たちが社会を形成する根源でもあり本来はそのためにコミュニティも組織も集団も形成してきたともいえます。

何のために私たちは人間関係や人間社会を形成するのか、それはシンプルに言えば助け合うことができるからです。助け合う中に喜びがあり、愛があり慈悲もあります。そういう人間として与えられた徳を活かそうとする仕組みが相互扶助であり互譲互助のシステムを発展させてきました。

保険と共済の違いは、保険は営利を目的にされていて共済はそうではないことと定義されます。共済は組合員が一定の掛け金を払えば不慮の事故などのときにそこから支払われるものです。保険は、自分が保険に加入して掛け金を支払えば保険会社から支払われます。

今の時代は、本当に貧しい人たちが入れるものではありません。どちらかといえば、お金を盛っている裕福な人たちが加入しているものがほとんどです。江戸時代には、無尽講という仕組みが誕生します。これは本当に苦しむ人々のために、それを見捨てるのではなくみんなで助け合おうとするものです。今ではバラバラ個人主義が当たり前で自分のことは自分でなんとかしろという様相ですが、かつてはみんなで共同体として一緒に生きる存在としての緩やかに結ばれている個がありました。誰かが困ったときにはみんなで乗り越えようと知恵を出す中に、相互扶助の仕組みがありそのことによって村が助け合うことを大切にするような意識に変わっていったのでしょう。

よく考えてみれば、村の移動もできずその場所でなんとかしないといけなかった時代、その土地で困ったことをみんなでなんとかしようとするのは善い村です。善い村には善い人が集まり、善い暮らしができます。今でいうまちづくりの根幹はこの助け合いの仕組みが柱になっていたように私は思います。

三浦梅園先生のいた富永村も同じように、あまり豊かな村ではなく農民は不作や災害で苦しむことが多くありました。そこで「慈悲無尽」という仕組みをつくります。

これは、①みんなが助け合いを理解すること。②みんなができる範囲で、米麦お金を出し合うこと。③出せない人には無理には出させないこと。④集まったものを毎年活用し増やしていくこと。⑤みんなで相談して一番困った人から順に助けていくこと。

としました。この仕組みは、その後、明治に入り保険や共済が出てくるまで190年以上村で利用され多くの人たちを助ける仕組みとして活用されてきました。例えば、明治時代に入ってからそれまでに貯めたお金で田んぼを購入し「慈悲無人田」と名付けて収穫されたお米を売ってそのお金で村人を救済していきました。

次第に、個人主義が蔓延して範囲が拡大し不正をする人やねずみ講のように組織を増やして詐欺行為をする人たちがでてこの仕組みも失われていきました。これは本来の心の救済が失われ、単に物の救済に変わっていったからかもしれません。目的が、単なる金銭のことになってしまえば本来の助け合うことを常に意識して善い人、徳を醸成しようとした話ではなくなってしまいます。

ではどのようにして、現代にこの慈悲無尽講を甦生させることができるのか。それを私はブロックチェーン技術を活用し徳積帳によって実現させてみたいと思っています。

歴史に学び、先人の遺徳に発明する。御蔭様に何よりも心から感謝しています。