人は幼い時に本物に触れることはとても大切です。何が本物で何が偽物かを知ることで、感覚が本物を理解するからです。例えば、生まれてすぐからインスタント食品や化学的に便利に調理された加工食品ばかりを食べているとその味が通常の味として感覚が染みつきます。すると、その味が基準となって美味しいというものや、合っているというものになっていきます。合わせて、食べ方というものもあります。丁寧に味わって食べることで、全身の感覚で味わう食べ方と、一気に流し込むような噛まずに食べるような食べ方をしていたら感覚もそれを基準にして活動することになります。
つまり、この身体や五感というものは五感というものを研ぎ澄ますことで察知する仕組みになっていてその時に本物に触れるということで磨かれるということです。
ここでの本物というものは何か、それは五感を使うものということになります。そして五感を使わなければ使えないものこそが本物ともいえます。むかしの道具なども、今ほど便利ではなくどちらかというと大変不便ですが五感を使うものばかりです。五感を使う道具とは、人間の持っている力を引き出す道具ということです。先ほどの味でいえば、私たちは五感によって味を察知できます。ということは、五感を使う道具を用いてその五感でしか察知できない味を引き出しているのです。
この引き出していくというのは、元々持っているものに近づけるという意味でもあります。別の言い方をすれば、調っている状態にするということです。この調った状態とは、自然ともいいます。不自然とは、歪になっている状態のことです。
私たちは煩雑とした都会ではなく、シンプルで洗練された自然などに身を置くと心身の感覚が覚めわたっていくものです。これも五感が動き出し、自然に調ってくるからです。
つまり本物というものは、この五感によってしかわからないものでありその五感を発揮させることによって私たちは自分というものを自覚し、人間本来の姿を認識し、健康や幸福、あるいは人生までを感覚的に感受することができるように私は思います。
だからこそ暮らしの中で五感をどう磨いていくか、そしてそれをさらにどう高めていくかというのが修養の本質であり、本物を知るということになるように私は思います。
日本人が日本人になるのもまた、日本人として五感で磨かれてきた文化を体験させてこそです。子どもたちのためにも、本物に触れる機会や教育を増やしていきたいと思います。