孤独というものがあります。また孤高という言葉もあります。どちらも一人でという意味になります。この一人というのは、自己のことをいいます。つまり生まれてきて一人、死ぬときも一人、孤立するということです。
この「孤」という字は、奥深く意味は形成文字で乳児と瓜が重なった感じです。これは私の解釈では、自分というものを顕します。つまりは孤立であれば自立のことです。そして孤独は自独、孤高は自高です。
私は寂しがり屋です、よく一人、孤独を感じることがあります。もともと大勢いと何かやるのは好きではなく、むかしから一人で何かをやっていることが多かったように思います。また他人といるときに、自分のことを分かってもらえていないという感覚が強く辛くなるときが多くありました。もともと孤独のタイプだったのですが、それでも一人になるのが寂しくなったりするのです。
これは何を意味するのかを深めていると、いのちの話になってきます。私たちのいのちは、元々二つのものが一つになって存在します。つまり陰陽のように二つが一つなのです。でもこれはあくまで二つが一つであるから、二つというのは決して崩されない真理です。なのでその二つはわかり合おうとしたりくっつこうとしたりします。しかしそれは不可能で、二つで一つであったと自覚するまで続きます。
私たちは自己を極めていく発達の過程で、二つを一つにしたいと思うようになります。分かれているものを合わせていこうとするのは本能であり、それはなくなることはありません。
だからこそ本当の自分になろうとしては、人は孤独を愛し、孤高を望みます。自分の天命が何か、自分とは何か、分かれているからこそ知ろうとし、二つになっているからこそ交わろうとするのです。調和したいという心が寂しさを与え、愛を導きます。
孤独や孤高は、本当の自分になることや一つであることを学ぶためにとても大切な要素です。来年の事業のことを内省して思うと、私はやはりこの二つが一つであることのあらゆるものを和合したことを実現しようとしていることがわかります。
先祖から子孫というものもまた、縦と横の和合です。引き続き、年末に向けて静かに孤独や孤高と対話していきたいと思います。