今年は稲やお米に関わることが増える年になる予想があります。そのため改めて日本の稲作の信仰から学び直しています。稲荷信仰というものもあり、日本ではむかしからお稲荷様をお祀りしてきました。私もむかしから佐賀の祐徳神社に深いご縁があり、折をみては参拝し、場の道場にも祐徳石風呂にお祀りしては祈祷をしています。
そもそもこの稲荷信仰の始まりはいくつかの説があります。弥生時代からという説があり、私も稲作と同じころにはじまったのではないかと感じます。以前、京都の鞍馬寺でむかしの和鑑に稲と蜘蛛とトンボなどが共に描かれているものを拝見したことがあります。お米を守る生き物たちを同じ神様としお祀りしていたことがわかります。
他にも稲を守る生き物たちは、カエルがいたりカマキリがいたり色々とあります。そしてむかしはキツネがとても重要であることが分かります。民俗学の柳田国男氏は、かつて狐を田の神の使令と考え稲田の近くに塚を築いてこれを祀ったのが狐塚であること後に稲荷の小社が勧請されたちいいます。田んぼの周囲で子育てをし、野ネズミなどを食べて田んぼを守った動物として狐を田の神の使令さらには田の神が仮に狐に姿を託しているものと考えたといいます。
今ではキツネを見かけることはありません、動物園にいるくらいです。他にも山にはオオカミがいて田んぼを荒らす生き物を追い払っていました。人間にとっては、時には敵対するような生き物たちを神様として大切にかかわることでお互いに共生関係を築いたことがわかります。
日本人は和に通じていて、なんでも仲良くなろうとします。疫病の神様をお祀りしておもてなしをし、早々に満足して立ち去ってもらおうと神社を建立して供物や神楽を捧げたりもします。
なぜ今も神様としてお祀りしているのか、そこには日本人の精神性や生き方が大きく影響していることがわかります。つまり信仰とは、その民族の生き方なのです。今では環境としての自然が失われ、なぜこれをお祀りするのかなどの意味の伝承も場から失われています。だからこそ、今の時代も本質を磨いて、意味を甦生し、後世の人たちに伝承する使命を感じます。
お米について取り組めることはとても仕合せです。色々なことを手探りでつかみ、多くの人たちに結んでいきたいと思います。