真心を磨く

人は物事を観察するのにどの時点で観ているかによってその評価が変わってくるものです。目先のことだけを見て判断するのと、一貫して長期的に観て判断するのとではその奥深さも広さも変わってきます。例えば人物を観るときも同じです。その人がどのような人かを観察するのに世間や目先の評価ではわかりません。その人は人生を懸けて何を実現しようとしているのか、どのような初心を持っているのかでやっている行為や物事の本質がわかります。さらに言えば、どうありたいかという生き方は行為や物事とは関係がなくその人物の呼吸一つ、行動一つに顕現されていくものです。だからこそ、心ある人に触れると人は感動するように思います。

以前、教養とは人の心がわかる心という言葉を聞いたことがあります。この教養とは知識がある人のことをいうのではなく、その知識を実際の暮らしの中で実践できる人を言います。つまりは、知識としてのテクニックで生きているのではなく知恵もあり真心で生きているということです。

真心の人というのは、感謝や思いやりの心に溢れています。そしてそれを活かして実生活を営むのです。日本人の懐かしい暮らしを学んでいると、そこから元々の日本人の姿が垣間見れます。

小さな生き物や植物をはじめ自然を愛でる心であったり、もったいないと最後まで大切にいのちを使う繊細な気遣い、また五感を優先しすべてのご縁にたいして誠実であったり、感謝や素直さを忘れない明るい誠実な態度であったりと真心の人が観えてきます。

頭だけがよくなっていくら知識が増えても、心が通じ合うわけではありません。人は頭がよくなくても心で行動していれば人を感動させ心が分かち合えるものです。

有難いことに私の周囲には真心の人たちがたくさんいて、いつもそのことに救われ、あるいは癒され、幸福を味わっています。真心で生きる人たちと一緒にいることは、真心を磨き合うことができるということです。

この世に生まれてきて美しいことが体験できることほど仕合せなことはありません。自分がどうありたいか、それは生き方が決めます。先人たちに恥ずかしくないようにまた子孫のためにも真心を磨き続けていきたいと思います。