私たちは日々に奇跡を生きている存在です。本来は当たり前はないのですが、次第に頭で当たり前を思い込んでいくものです。例えば、日常生活が普通にできることや、家族や仲間がいなくなることもなく、健康で怪我も事故にあうこともないと当たり前を設定していきます。しかし、ふとそうではない事件に遭遇したり思い込んでいる当たり前が消えたときにはじめて当たり前はなかったということに気づくのです。
この当たり前はなかったというのに気づくのは、死別などが最もわかります。昨日までいた存在が消えてなくなるのだからそれまでの当たり前はなくなります。親がいて当たり前、子どもがいて当たり前、親友がいて当たり前という日常が突然消えてなくなるのです。もちろん病気や災害、他にも多数の出来事が当たり前がないことに気づかせてくれますが何かが失われてはじめて気づくのがこの奇跡というものです。
つまりは、私たちの日常こそが奇跡であり何か特別なことが発生することが奇跡ではないという事実。奇跡しかないこの事実に対して、自分はどう奇跡を感じているかというものが人生の醍醐味とも言えます。
そしてこの奇跡には、また「奇蹟」というものもあります。一般的な奇跡は理屈で説明できない摩訶不思議な現象のことをいいます。しかしこの「奇蹟」は神様が何か意思を持って起こしたものといいます。自然現象と神様が起こしたものという奇跡です。実際には、奇跡は自然発生だと感じるもので、もう一つはそれをどう受け止めるかが奇蹟というもののように解釈できます。
私たちの暮らしは、二度とない一瞬でありもう同じことがあることはありません。同じことが起きていると錯覚するのは脳の処理の間違いであり同じように観えても、同じことは決して起きません。まさに一期一会なのです。
私も今は骨折して以前のように歩けませんが、本当は当たり前に歩けたことも奇跡だったということ。そして今も歩けないことは当たり前ではないということ。どれも人生において一期一会で有難いということ。
感謝で生きていくということはつまり当たり前ではないと生きていくことです。
今に集中するとは、この当たり前ではないことに集中するということでもあります。二度とない今を大切に、いただいている一期一会を素直に感受し謙虚に取り組んでいきたいと思います。