意識の変化

昨日から、懐かしい友人たちがきて一緒に節分祭を行いました。まず僧を中心にみんなで祈祷をしました。その後は、立春大吉のお札をそれぞれが書きこみました。最後は、福を担う歳男から豆まきをして鬼は外、福は内と子どもたちも一緒になって楽しく行事を行いました。夜は、その直来で恵方巻を方角をみては歳神様に祈りつつ湯豆腐を食べてお祝いしました。

まるで正月が二度きたような安心感と豊かさで、むかしの人たちの祈りの暮らしを味わいました。話は色々と尽きず、久しぶりに会った人、新たにご縁を結んでいく人と心を交わし過去の不思議な出来事や経過などを語り合いました。

こうやって同じように繰り返す中に、いただいてきたことの恵みや機会、そして道を歩む人たちがどう進んでいくのかを確認できどのような変遷が自分を成長させてくれてきたのかも気づくものです。

そしてそれがまた「場」の中に同化して新たな場が意識を醸成していきます。

変化というものは、その時々の意識の変化ともいえます。

意識は、ある意味で考えていない方が成長していきます。即興というか、その場の一期一会において自分の考えの及ばないものに近づいていくのです。自分の考えているというのは、ここでは思い込みのことをいいますが思い込みを超えた何か、心の素直さのようなものに触れて意識が調っていきます。

命じるままに歩んでいくことや、感じたままに動いていくという感覚はこの即興の意識を磨きます。自然体でいることは、この意識の動きと一体化することから創造されるものかもしれません。

これを本能という人もいれば、潜在意識という人もいて、かつては験ともいいました。経験を積むというのは、それだけ意識が変化してきたということでしょう。

今年も例大祭が実施することができ、仲間たちがたくさん各地から集まってお祝いしてくださいます。今日も神様や場が喜んでいただけるように、修験の実践を積んでいきたいと思います。