太陽暦と太陰暦というものがあります。これは太陽を中心に暦を観るか、月を中心に暦を観るかで変わります。太陽暦は、地球の公転周期に近いので修正が少ないのですが季節気候とは関係が薄いので農業等にはあまり向きません。太陰暦は、季節と暦が一致しているので農業等に向いています。しかし太陰暦は、公転周期とはかなりズレるので補正が大変というものがあります。その後は、太陽太陰暦という両方の良いところ取りのものがその後に発明され江戸時代には渋川春海が貞享暦というものを完成させます。最近では、地球暦といったものも発明され太陽系の中にある地球という暦もつくられているといいます。
この暦というのは、単なる時間や季節、時期や農業などで使われていたのではありません。政治的なものとして、政府によって管理されてきました。例えば観象授時といって天文現象を観測して人民に正しい時季を授けること、すなわちこよみを作ることは為政者の務めとされていました。
また受命改制というものがあり、天文現象とは天が支配者にその意思を示したものであり、政治の良し悪しが暦にこそ顕れると信じられていました。つまり王朝は天命に由るものとしてその天命を受けたのが天子であり臣下はその暦に従うというような使われ方もしてきました。
民衆が従うというものは、統治になるため暦はその役目を別の意味でも果たしてきたことになります。
そもそも考えてみると、私たちのいのちは自然に合わせていかなければ生きていくことはできません。自然の前では人間は無力です。そういう意味で、太陽がなければすぐに死にますし、地球がなければ存在することもできません。本来は、そういうものが神様として信仰してきたのですがその運行を把握しその真実を管理できる人がその存在に最も近いというように思ったのかもしれません。
確かに、気候を読んで未来を予測したり災害や地震などを予知できれば人々はその人に従います。そのためにも暦は政府や政治にも欠かせないものだったのでしょう。その暦が外れたり、その暦が間違えると様々な不信が生まれたのでしょう。
今だ諸説あり本当かわかりませんが、邪馬台国の卑弥呼も天候を管理できると巫女として崇められ皆既日食の時に暗殺された説などもあります。確かにその当時のことを思ってみると、自然の巫女が天気を予測し人々を導いたというのは想像できます。そして太陽が隠れるというのは、どれだけ怖いことだったか。それだけで人々の不信が発生することも予測されます。
結局は、いくら暦があろうがブラックホールや隕石があることがわかっても宇宙や自然現象の前では私たちはどうにもならないことがわかります。そういう意味で、本来はこの暦の本質とは何かということにも気づけます。
日々の小さな変化もどれも一期一会です。予測できたとしても、それをどう感じるか、どう応じるかはその人の感性や直観、感覚が重要です。どのような感覚を日々に磨いていくのか、そういう意味では暦は私たちの五感を磨く大切な知恵の一つです。
子孫のためにも、暦の意識を磨いていきたいと思います。