現在、古民家の利活用のことなどを色々と試されていますが私から見ると何をもって誰のための利活用というのかというのが気になるところです。私の場合は、誰がのところがまず家がになっていますし何を持ってのところが先人への配慮になっていますからその因果の帰結としてできてくるものが一般的な古民家の活用の仕方と異なってきます。そして主人として恥ずかしくないように生き方を磨くなかで自然に集まってくる一期一会に応じて暮らしを調えています。
現代は、経済優先の世の中ですから利活用とは稼ぐことになっています。単なる保存では負担なので活用しようという言葉が隠れています。そもそもそうなってしまっていることの理由を突き詰めずに、使っていないからもったいないとして別のものにしますが本来は連綿と改善を続けていたから活用が生まれているのであってそうではなくなっているものを別のものにしていてもそれは最初からやり直した別のものです。
歴史なども同様に、長い時間をかけて和合し文化として吸収していく過程の中でその時代の人たちが先人たちの取り組みを伝承してそれを改善してマイナーチェンジを続けてきました。シンプルなものを最初に創造したらあとはマイナーチェンジの連続です。
古民家というものなどその最たるもので、私はそれを日々の暮らしの中で実践し継続するなかで変化を味わい家と共に喜ぶ環境を発見しては磨き続けているだけです。
いくら古民家を利活用しようとしても、それでは家が本当の主役になったのではありません。その家にはその家の歴史もあれば個性もあります。そして物語もあります。その続きを担うのだからそれなりに主人がそれを理解してよく学びよくその境地に近づく必要があります。それも時間をかけて丁寧に行う必要があります。
私の経験では最低でも3年くらいは、マイナーチェンジを続けていきます。すると次第に馴染んできてそのものが働きはじめるのです。と文章にしても、伝わらないものなのでやはりその場で共に感じてもらいしかないのですが。
ご縁というものもとても似ています。
時間をかけて醸成された人間関係は不思議とタイミングを間違わないものです。誰と出会い何をするのか、ご縁が喜ぶかと生きているとそのご縁に導かれたその人らしい人生になっていきます。大切なのは、どの意識で過ごしているかということかもしれません。それは利活用という意識ではなく、ご縁を大切にするという意識である方が豊かさの質は異なります。
春の気配の薫るなかで今年の不思議の芽が出てきています。ありがとうございます。