昨日は、2年ぶりに来庵された友人たちと新たな仲間で立春の禊を行いました。この時期の空も清々しいですが、水もまた清らかです。清らかなものに接すると人は清々しくなります。私たちの先祖たちはその清々しい状態を保つ暮らしを知恵として連綿と継続しており、私たちは穢れるよりも先にいつもその初心を忘れないための工夫がありました。
その一つがお手入れであり、清掃でもあります。場を清め、自分を調えていくことはお互いの関係をクリアにしていけます。透過されていく関係の中にはそぎ落とし磨き直す関係でもあり心地よく人間の徳を高め合うものです。
よく考えてみると、私たちの生活する「土」というものとその関係は似ています。土というものは汚れていると小さい頃から教わってきました。何か土を触ったり土がつくと洗ってきなさいと言われました。つい土をよくないもののように認識してきます。
しかし土は私たちの様々な汚れを浄化する存在であり、動物に至っては土を身体に纏って衛生的に給ったり、直射日光などから守っていたりするものです。植物においては、いのちを支えてくれる大切な土壌であり土が保水し菌の住処をつくってくれるから循環しあう環境を創造することができます。
その土というものを如何に創るか、これはとても大切な取り組みになります。
土ができるまでは時間がかかります。それは何度も何度も同じものをつくり、土が馴染んでくれるまで丁寧に実践を続けるしかありません。しかし一度、土ができてしまえば土が私たちを支える大切なパートナーになります。それだけ私たちは土と一体化するのです。
郷土も同様に何をもって故郷と呼ぶのかといえば、この土が中心であることは間違いありません。どのような土で育ってきたか、そしてその土の中でどのような土を食べてきたか。植物も土からできていますし、その植物を食べる動物や虫もある意味で土を食べてきた土の化け物です。
その土に回帰するというのは、自分が産まれ育ってきた土に還るということでしょう。子どもたちのためにも、土を汚す農業や土を穢す生き方ではなく土に還る、土を喜ばせる生き方をしていきたいと思います。