一期一会の聴福人

聴福庵には、多くの人が来られます。その中でも不思議ですが、ご縁がある方とご縁のない方がおられます。ご縁のない方は、なぜか玄関まで来て帰られる方もあれば何回も来ようとするのに何かしらのことが発生し何年も来られない方もいます。その反対にご縁のある方は、いつも絶妙なタイミングで来られます。人生の大切な節目であったり、あるいは何の覚悟を決めたり行動をしようとされている時に偶然に来られることもあります。

もともとこの聴福庵の甦生は、何かの商売をしようとしてはじめたところではなく恩返しや徳積として取り組んできたものです。最初の目的が明確だったからか、思い返すとその目的に関係する方とのご縁ばかりだったような気がします。

人も家も物もご縁がありますが、そのご縁には目的に対する純度や密度があるように思います。

そのものとの出会いもまた、ご縁の一つですがそのご縁を如何に澄ましているか、そのご縁にどれだけの意味を感じているかは場に宿るものです。

もともと宿というのは、宿るという意味もあるように思います。この場には、そういった心の情景や生き方が自然に宿りここに来る人たちの心を癒します。宿というのは、単なる宿泊施設などではなくその主人の生き方や魂が宿る場所でもあるのです。

聴福庵と私は、深い関係性を築きながら今を生きています。家の方は私の年齢の3倍以上を生きた先輩です。その家と一緒に生き、その家と共にご縁を宿します。こうやって代々が変化して、その家と人を育てながら道は続いていくのでしょう。

新たな出会いで何が覚醒していくのか、毎回、この場でのご縁に感謝と喜びを味わっています。いつもこの場で人々の心を助けてくださっている火水の存在にも感謝です。

いつまでも一期一会の聴福人でありたいと思います。