日本人の祈祷の根源は何か、それを深めていくとお祭りやお祝いによることがわかります。つまり導かれたご縁をどのような心持で待つのか。その生き方の中に、真の喜びも仕合せもあるという考え方です。
お祭りという言葉の語源は、「まつ」から来ているといわれます。このまつは、守つとも書きます。その対の言葉に「またせる」もあります。これらの中間に「まつる」があります。何を待つのか、それはカミを待つ心境のことです。そしてお祝いは「いわう」から来ています。これは「いはふ」であり、「い」は「いのる(祈る)」などの「い」と同じ意味で神聖なものを意味する「斎(い)」です。
シンプルに合わせると、「いのりまつ」ということです。
私たちの日々の暮らしというものは何か、私は暮らしフルネスの中でよく「暮らし」の定義を話すことがあります。人生というものの意味や一生ということの本質は、生きている今を連続して死に至ります。つまりこの今の暮らしの連続の中に、祝福という仕合せがあります。その仕合せはご縁に由ります。そのご縁は「いのりまつ」ことで結ばれていきます。
毎日の暮らしは、いわば待ち続けている間の出来事です。これを祭りともいいます。そして祭りと合わせて、予祝というものがあります。これは予め祝うという意味で、すでに叶っていると信じて真心を穢さないように日々を洗い清めて過ごしていきます。そしてこの予祝が待つという実践になっているのがわかります。
私たちの日々の暮らしは、いのりまつ連続によって成就し、その日々のいのりまつが満ち足りている喜びが仕合せになるのです。
人の仕合せというのは、色々と定義がありますが畢竟、暮らしを超えることはありません。何気ない日々の暮らしの中にこそ、すべてがあるという思想。それが暮らしフルネスの本懐です。
今の時代は、経済効率や時間管理などの刷り込みの中で当たり前の日本の生き方や伝承は忘れられて価値も失われています。
しかし人類はふと、立ち止まることができればこの「いのりまつ」境地に入ります。その時、具体的な先人たちの紡いできた知恵や伝承が如何に宝であったかに気づくのです。
気づくためには、その感覚を子孫へと伝承する場が必要です。何百年も何千年もかけて培われてきた私たちのいのちの本質は、水や空気、太陽や宇宙のように当たり前すぎるものの中にこそあります。
子どもたちのためにも、暮らしフルネスの実践を磨いていきたいと思います。