和合の真理

私たちは樹木を観てはその名前で呼び同じものだと認識します。これは人間であれば、人間と呼べば同じものです。多少の差別を持っている人たちもいますが、人間というものの定義はだいたい同じです。同じように樹木、野菜、動物、花、あらゆるものを分類してきました。

花であっても、色々な花があります。見た目も花とは思えないものがあります、そして魚なども同じ魚として見た目があまりにも異なっているものもあります。それは鳥も同じです。

現代ではクローン技術が発展して、同じものを生産するようになりました。見た目が同じだけでなく、遺伝子も同じであるものをつくります。野菜なども遺伝子を組み替えて同じ野菜をつくり、花も同様にしています。

しかし厳密にいえば、同じものなどはこの世に存在することはあるのでしょうか?そんなものは一つとしてありません。人間の指紋が同じでないように、葉の葉脈が同じでないように同じように観えても同じものはありません。

これは何を意味するかといえば、必ず違う部分が存在するということです。宇宙をはじめ、地球にも膨大な量のいのちがあっても同じものは一つもないという事実。似た星を見つけても同じ星はないという事実。水も同じですし火も同じ、風も土も同じものは一つとしてないのです。

このクローンというのは、似ているものに近づけるということです。外見はこれからも科学の発展と共に近づいていくでしょう。しかし内面は同じことになることはないし、かえって内面の差は広がっていくように思います。それは変化ということを運命づけられているからであり、別のものであるから和合することができるからです。

和合するという絶対的な真理に対して、それを超えるものはまだ見つかっていません。いくら分けて別れても、結局はそれは和合を学び直すのみです。何が最も大切なのか、よく同じものの意味を振り返り和合することの喜びを味わっていきたいと思います。