護符から学び直す

守静坊の護符を甦生していますが、知らなかったことが色々と観えてきています。なぜ英彦山が三所権現になったのか、役行者とは、また竹台権現とは、そして宝珠の意味など、改めて木彫りの札から観えてくるものがあります。

私は宿坊を引き継いでまもなく前坊主がお亡くなりになったのでほとんどのことをお伺いしていません。残していただいた書籍や、あとは手さぐりで宿坊に残っている道具と対話をしながら一つ一つを辿っています。

私にとっての甦生というのは、いにしえとの対話でありそれを今に伝承するものでもあります。前がやっていたことをそのままに受け継いでいると、その本質を理解しないままに形だけのものになってしまうことがあります。そうならないように、そもそもこれは何かということを自分の五感をはじめすべての知恵と知識を駆使して純粋に突き詰めていきます。その中で極めて観えてこそ、新たな伝承として甦生したことになるからです。

この護符というものは、とても不思議な力があります。

護符には今回はミツマタの和紙を使います。そして朱肉も墨も本物にこだわりむかしから伝来した木彫りの版木を使います。今では、プリンターで自動で何枚でも簡単にお札はできます。特に今の神社やお寺のお札は手作りも少なく機械化されています。手書きで一つずつとなると相当な時間がかかり、今ではコスパやタイパが悪い代名詞になっているのでしょう。

しかし本来、なぜミツマタの和紙であったか、そして木彫りであったか、そこには確かな理由があります。一つ一つを山伏や祈禱者たちの手で丁寧に心を籠めて作成していくなかに護符の意味もあります。

そもそも護符も版木も今でも生きているものです。今でもこの版木を手でさわれば、そこに宿っている何かを感じます。その人の深い信仰というだけでなく、そのものの持っている存在のイメージや念のようなものも感じます。

江戸時代ころの版木であるのに、今でも最近つくったのではないかと思うほどにしっかりと生きています。人の思いというものは、依り代にうつるものです。改めて護符をつくりますが、本来の護符をつくる人の生き方や作り方を鑑みながら丁寧に甦生をしていきたいと思います。