不易流行という言葉があります。これは松尾芭蕉の俳諧の理念の一つだといわれます。芭蕉は「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」とあります。これは「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」という意味です。
私の解釈では、自然は普遍ですが人間の価値観は変化していきます。自然の真理を深く理解している人だけが、何が不自然かがわかるというものです。そして不自然が理解できるからこそ変化がわかるということでしょう。
例えば、過去の歴史を省みると近代はあらゆるものが新しくなっています。建物をはじめ食料、生活用品、お金などその時代に発明されたものが進展して今があります。しかし元々何だったのかを見極めていくと何が本来の自然の姿であったかに気づきます。そしてそれがどう複雑化してきたのかもわかります。特に現代は何でも簡略化して合理化して大量生産し大量消費する価値観へと人類が移動してきたからそういう進展を経ているということです。
これは決して物だけではなく意識の変化も同様です。人間は時を体験することでそれまでのことを新しくします。この時の新しくというのは、変わっていくということです。同じことを繰り返していくうちに、同じではなくなっていくといった方がいいのかもしれません。
本質的に同じように取り組むのなら変化に対して変化に応じていかなければ本質が維持できません。これをしなくなると形骸化していきます。現在の文化財保護などもよく眺めていたら、一昔前に文化財が破壊されまくっていた時代には必要な保護でしたが現代ではその保護がかえって破壊を進めています。ショーケースにいれてただ見学するような文化財はすでに終わったものです。
本当は歴史や文化は不易流行があってこそ成り立つものです。それをしないで、文化財の保護や活用をいくら専門家が集まって議論してもそれが新たになることはありません。特に今の時代は、流行が真理のようになっていて不易を知る人はほとんどいません。それくらい何が自然で何が不自然か、もっといえば何が常識で何が非常識かもわからなくなっているちぐはぐな時代だからです。
だからこそ、不易流行の原点回帰が必要になってきているように思います。そのためには、不易=流行にする精進が必要です。意味のなくなってしまったものを甦生し、形骸化されたものを根源的に実践する。
道のりは長いですが、私なりに暮らしフルネスに取り組む中で一生をかけて精進していきたいと思います。