汚染の本質

私の幼い頃に故郷にとても水が澄んで綺麗な場所がありました。そこは人が集まり癒される場所で、小さなエビや蟹やカワハゼなどがたくさんいました。それが現在では濁り、汚れ、黒い藻や泡などがでています。生きものはまだいますが、むかしを知っているからかとても残念な気持ちになるものです。ここが濁った原因は、上流に砂防ダムなどを設けたことによります。

最近は特に過去にないほどの水害に見舞われることがありますから仕方がないのかもしれません。しかし、滅多にないことのために人工的に何かを設けてしまいそのことで最も自然が自然に織りなした清浄さや豊かさがなくなってしまうのはどうしたものかと思います。

以前、東北の津波のあと巨大な堤防を設けたことでその地域の海の生き物や豊かな自然が失われたことをききました。長崎では諫早湾の問題なども有名です。人間は色々なことを分けて考えることに長けましたが、本来は分けられるものではなく結ばれているものです。その結ばれているものを切ってしまえばそこに問題が生じるのは自然の理です。

汚染というものの本質は何か、そこに答えがあるように思います。

私たちが何かを破壊するとき、それはそれまでの結びを断ち切ることで完成します。これは歴史でも同じく、遺伝子でも免疫でも、人間の持つ結びつきなどもそうです。破壊することで得られるメリットは、分断による便利さや個人の利益です。みんなのものだったものを自分のものにできるという利点です。

しかしそのために破壊して分断したことが、その時だけせき止めてみてもいつかそれがあふれ出しまた崩れていきます。それが濁り汚れる原因にもなっています。自然が起こす洪水や災害は、実は自然全体に対しての調和の意味もあります。台風なども空気を拡散してくれて気候を調えています。

人間がやった場合は、単なる破壊になることがほとんどです。元の欲望がそもそも不自然でやっていますから自然が壊れ続けるのです。この先、100年のことを思うと工業廃水や空気汚染、様々なことがさらに困難になるように思います。

今から何ができるか、それはまず身近なところからの改善であるのは間違いありません。大きいからできないではなく、地味でも小さなところからそれぞれで取り組むことでもう一度自然と結び始められるはずです。

私は私ができることで、甦生から取り組み自然と調和していきたいと思います。