発酵のことを学んでいると、色々と人類の固定概念が覆ってきた歴史を感じます。そもそもこの発酵というものの技術は人類を長い間支えてきたものです。日本でも、麹菌をはじめ納豆などの枯草菌や土を元氣にする土壌微生物は太古のむかしから共存していますしペニシリンなどのカビ菌も健康を下支えしてくれてきました。
この菌というものは最初は、無から誕生するといわれ信じられてきました。顕微鏡もなかった時代、物質の時間的変化を観てはそう思ったのも無理はありません。空間の中に突如として別のことが発生するというとき、人はそれを神掛かりとしたのでしょう。
その後、パスツールの実験によって変化は空間の微生物の仕業だと解明されます。しかし実際のところ、宇宙根源から観たらアリストテレスの言う「自然発生的に無から出てきた」というのは真理だということは直観できるものです。そもそも今の地球がどこから誕生したのか、宇宙が何から誕生したのか、未だに解明されていませんし解明することもありません。それはこの世はすべて目に見えるものだけしかないわけではなく、意識や念、魂というような目に見えないものも同時に渾然一体となっているからです。
しかし科学というものは、その中から解明できる部分だけを発見しそれを都合が善い部分だけ人工的に利用することで人類の思い通りに加工してきてそれを進歩や発展としてきたのでそれが真理のように取って換わってきたように思います。
この発酵というものは、実際のところはいのちの話ですからよく分からないところはまだまだたくさんあります。麹菌においても、日本人に合うように飼育されて変化して今に至りますし、田んぼの土なども真心を籠めて見守り関わっていると微生物との関係性ができて地力があがりよく作物が育つようになります。人間の腸内細菌もまた、同様に腸内フローラがよくなるような生き方や食べ物によって健康が保たれます。
まるで意志を持ち、人間と同じような個性や特性を持っている菌を果たしてどう捉えるか。ある人は、人間の正体は本当は菌であるという人もいます。確かに、腸内細菌が脳を支配し、全身の微生物の調和によってウイルスなどとも和合し自然の循環の中で自然と共生しているのも菌です。
またある人は、人間はミミズが変化したものともいいます。土を食べ、菌が食べてさらによい土にしていくという循環の仕組みは本来は人間と同じです。
現代は、人間が科学的なものや不自然ものを摂取して体内の微生物たちも色々と変化していますが本来は自然と共生する菌たちの相互扶助の仕組みで生命は循環しているのでしょう。
目には観えなくても、この手のひらにも空気中にも、そして水の中にも微生物たちで満たされています。最近は、殺菌ばかりしていますがこれも何だか本末転倒というかちぐはぐというか知的文明を語りながら刷り込みというのは滑稽なことだなと感じます。
もちろんどうしても滅菌している空間でないと難しい時は当然ですが、自分たちが微生物の親類であることを忘れるのは残念なことです。今でも私たちはお酒をはじめパン、みそ汁など日々は微生物の活躍に頼っています。
尊敬の気持ちを忘れずに、子孫たちへ発酵の妙味を伝承していきたいと思います。