むかしのお米作りと暮らし

むかしのお米作りを深めていくなかでその歴史や変遷を見ていると面白いことが分かってきます。時代がよく反映されていて、道具や仕組みも変わってきます。縄文時代や弥生時代などは、そのまま種もみを田んぼに蒔いてあとは木製の道具や石包丁などで育て収穫しました。土器なども発明され稲作が普及していきました。最初は御粥のようにして食べられ、そのあとは蒸し米として食べていました。

奈良時代や平安時代には、炊いて食べるようなご飯になっていたといいます。その頃の農業は、水車や牛馬をつかってまた鉄器がでてきて作業効率もあがったといいます。

そして江戸時代に入ると品種改良や農機具の改良が進みます。よく見かける「千歯扱き」や耕作のための「備中鍬」、お米をふるい分ける「唐箕」や「千石通し」、足で踏んで水車を動かす「踏車」など田舎の歴史資料館によく展示されています。

そして明治に入り、税収がお米からお金になってからさらに農業は改良され電気や石油、肥料も農薬も科学的に革新され今の仕組みに変わります。大きかったのは農機具の革新で「田植え機」が発明されたことでした。それまで長さが30cmほどもある大きな苗(成苗)を使ってできなかったのが1965年前後に現在のような10cm程度の「稚苗(ちびょう)」によって実現しました。むかしは、成苗で植えていたというのも驚きです。

そう考えてみると、機械化してからの革新とそれまでの発展はまた別の種類であることがわかります。機械化というのは、合理的なものを追及していきますからあまり自然的な要素は入ってきません。牛馬を使うというのは、生き物ですから体調もありまうし個性もまた精神などもあり機嫌を損ねず関係性を大切にしながら扱います。もちろん機械にはそれがないというわけではありませんが、自然物というよりも人工物ですから扱い方も異なります。

古風な人たちは、機械にもいのちが宿っているという考え方を持っているといいます。私の周囲も伝統職人さんが多いのですが、使う道具一つ一つをいのちがあるように大切に扱います。しかし、そうではなく加工食品やビニール袋などの大量生産品はすぐに捨ててしまいます。つまり機械化かどうかの問題でもないなということです。希少価値があるものを大切にし、大量になれば捨てるという感じでしょうか。

物の価値というものは、大量生産することによって変わってきます。大量生産するときに、同時に価値を下げているという矛盾があるのはお金の影響を受けてからでしょう。お米が通貨だった時代は、生きている種ですから永遠に保存もできませんし、みんなでまたその種を食べ、蒔いて育てるのですから意識的に循環しようと思うものです。

近代の革新というものは、自然を排除し人工的なものを軸にして社会を形成させていったことでしょう。そのことで自然との歪が広がっていきました。

今更、手植えや牛馬でやれというのも無理があります。しかし、自然と調和していこうとする暮らし方は見直していくことで自然も人の心も豊かになっていくのではないかと私は思います。自然との調和は、決して休日に山登りするとか海にレジャーにいくことという意味ではなく自然のリズムで自然と共生しながら暮らす仕組みを日常的に味わうような環境をととのえていくことだと私は思います。

言い換えれば、自分が自然から離れないような関係を暮らしの中で結び直していくということです。例えば自然の持つ温度変化に対して自分も自然の一部として共に味わうということ。何でも総合空調や気密性の高い住宅だけに住むのではなく、自然の温度変化の中に自分の身を置いてみることもいいでしょうし、一年の巡りを共にする野菜や果物などを育ててそれに合わせてみるのもいいでしょう。

私がむかしの田んぼに取り組む理由の一つは、お米のリズムと一緒に一年を過ごしていきたいからです。私たちが食べているもの、活かされているものと共に育し、年々の巡りを共にして一生を終えるというのはそれだけで豊かで仕合せなことです。

子どもたちにも、そういう自然の巡りや暮らしを伝承していきたいと思います。