暮らしフルネスの体験

私たちは現在、様々な境界線を分けては物事を認識するようになっています。そうやって分けた方が理解がしやすく、物質的に物事を捉えていく方が合理的な部分もあります。しかし、一度分けてしまったものをまた元に戻すというのは大変なことで分けるのは簡単でも一つにするのは難しいということです。

例えば、過去・今・未来というものも分けて考えていますが実際には過去も未来も今も一つのものです。この今も過去と未来の結ばれたところにあるものでこのブログを書いている一瞬のうちにも過去になり未来がきて今になります。今よりも前のことを過去といい、今よりも先のことを未来ともいいますが実際には今の連続だけで過去も未来もありません。今の中にあるだけということが真実ということですが、この今というものを理解することが現代の人たちにとっては難しくなってきています。

そのことから過去に囚われたり、未来に憂いたりすることばかりで今から遠ざかるという矛盾が発生しています。ではなぜこれを分けたのかということになりますがそれが物事を認識するのに役立つからです。

これは何と聞かれて説明するのに一つ一つを分化していきます。名前をつけてはそれが一言でわかるように意味付けしていきます。似たものをそれで分類することで同じ認識をできます。これをすることで多くの人たちの共通理解や認識ができるようになりました。しかしこれは分類わけするときに必要な認識であって、それがそもそも本当は一体何かということを認識できるものではありません。

私たちはそのものを認識するとき、そのものと一体になっていく必要があります。それは自他の別をなくすほどに、そのものと和合するときそのものを直観できます。自然というものを理解するのに、教科書や文字ではわからないのと同じです。

自然を理解するには、自然の中に入り自然と一体なってはじめて認識できます。ヘレンケラーが水を理解するのに、触ってみて浴びてみて感じたのと似ています。感覚というものの理解の仕方は、感覚を優先するときに感じるものです。

感覚での認識は、頭でっかちではできずそこには感覚による体験が必要です。それが本質を理解し、自然と和合し真理や法則などを認識する近道です。

暮らしフルネスというのは、暮らしを通してそれを認識するための一つの生き方でもあります。むかしの人たちは、頭で宗教や信仰などを認識してから行動していたのではなく暮らしの中で自然に馴染むようにそのものと融和していきました。

時代がいくら変わっても感覚が満たされるという豊かさや仕合せは、いのちそのものは絶対的に味わいたいと願っているものです。子どもたちが自然の遊び、いのちが喜ぶように暮らしフルネスを通してその知恵を伝承していきたいと思います。