原初の感覚

今年は辰年ということもあり、龍とのご縁が増えているとブログでも書きましたが引き続きあまりにも龍に関することが次々に発生するので色々と深めています。

私の場合は、スピリチュアルでもなく特定の宗教への信仰があるわけではなく感覚や歴史を掘り下げていくことで好奇心に委ねながら学び直していきますが学術的かというとそういうわけでもなく自然から教えていただいたものをどう汲み取るかということを大事にしています。

例えば、英彦山の守静坊に滞在しお山やお水とずっと心を澄ませて触れていきます。すると、次第に月が身近に感じるようになり龍という存在とのご縁が増えていきます。龍が増えていくと、次第に役行者や瀬織津姫、あるいは弁財天など神仏混淆したものとのつながりが出てきて次第に出雲族のことや海神族、龍蛇族のことなどのことを深めていきます。また魏志倭人伝にある邪馬台国のことや、一支国のことが出てきます。ルーツというものは、今も繋がっていて辿っていくと原始や原初の存在に巡り会うようにも思います。

これは自分というものの存在も同じです。先祖を辿れば、先祖が通ってきた道を実感することができます。今の自分の存在の個性や魂が望んでいることや出来事、あるいはご縁のある人たちとの関係をよく観察して直観するとその理由があることがわかります。すべてのことは認知していないだけで、今、こうなっていることは全ては理由がありご縁があることしかこの世にはありません。

人間は不思議ですが、同じようなことを何回も生まれ変わり体験しその記憶を思い出し鮮明に甦生させているだけともいえます。時間というものの概念をもしも取り払うのなら、私たちの記憶こそが実体の正体でもありその記憶のために体験を続けているともいえます。

話を戻せば、龍というのは、月であり、水であり、夜であり、山であり海でもあります。夜の月明かりに照らされた海の一筋のゆらぐ光ともいえます。漆黒の闇を導く透明な光です。

私たちの心が澄んでいるのなら、龍はそこに顕現してきます。古代の人たち、あるいは原初の先祖たちは龍を感じていつも生きていたように私は思います。時代がどう変化しても、原初の感覚を研ぎ澄ましてかんながらの道を歩んでいきたいと思います。