ルーツの道

昨日は、隼人族の末裔の方々が来庵され古代について歴史を学び直しました。私たちの歴史は、勝者の歴史というように過去にあった事実をそれぞれの勝者が塗り替えていくものです。

今、こうなっていると信じているものもつい最近の勝者に都合がよいように塗り替えられています。最近というと、戦争に負けたときでしょうか。これと同じようなことが古代にも何度も起きています。その都度、隠れたり消されたり、あるいは別の物にしたりと変わったものが神というものや、みんなが共通して心の拠り所にした存在だったりします。

しかし、根強く口伝や伝承によってその歴史を現代まで守り抜いている人々もいます。それは例えば、血脈として残していたり、あるいは意識として繋いでいたり、場に宿したりと様々です。

よく一族郎党皆殺しというものも、歴史から完全に抹殺しようとするからです。しかし、どんなに抹殺したとしても不思議なことですが次第にどこからかその歴史は明るみになり誰かに継承されていくものです。

これはなぜかと考えてみると、存在したものは失われることがないということを意味しているようにも思います。例えば、記憶というものがあります。記憶は忘れていくものです。それに記憶はなくなっていくと思っているものです。しかし、よくよく観察すると記憶というのはその場に遺ります。空間や宇宙の一部として記憶され続けます。水などはその最たるものです。音もまた同様です。鳴った音は消えると思われていますが、その音は別の物と同化して生き続けます。これは意識も同じです。意識を持てば、その意識は別の意識と結ばれずっと存在します。

人のご縁なども同じで、終わったり切れたりしているようでもそのうちまた時が熟しては巡り会うようにできています。過去の人たちや、同じ意識の人たちが集まり結ばれていくのです。

先祖の神話なども同様に、いくら改ざんして意味不明にしたとしても子孫が生きているのだから本当のことは魂でも覚えていますし、身体もそれを伝えてきます。そうやってみんなで力を合わせていつまでも記憶の続きを紡いでいるのでしょう。

ルーツとは、根源ともいえます。そういうものを大切にしていく生き方が道をさらに豊かにしていくものだと思います。お金だけではなく、今だけではなく、子孫のために生きようとする志はまさに記憶を生きることのようです。

これからも真摯にお互いの道を精進していきたいと思います。