新たな和スパイス

私たちの日頃使っている香辛料には歴史があります。その歴史も日本と世界とでは独自の進化があることがわかります。もともとの香辛料の歴史を少し深めると紀元前3000年頃からインドでは黒コショウやクローブといった香辛料が使われていたことがわかっています。その後は、よくカレーなどに入っているターメリックやシナモン、ジンジャー、カルダモン、なども使われていました。中国でも紀元前2500年くらい前から食事に香酒・香飯と呼ばれ、様々な香辛料が神様に共にお祀りされるようになり神事にも使われていたそうです。

それが次第にシルクロードを通してヨーロッパをはじめエジプトなど各地へと広がり特に中世ヨーロッパでは肉料理が多かったこともあり、香辛料は貴重なものとしてたくさん持っていることが王侯貴族たちの富の象徴となりました。これらの香辛料を貿易で儲けたのがヴェネツィア商人たちです。その後、ポルトガルをはじめイギリスやフランスなども香辛料を求めてアジアへと貿易をひろげてスパイスで戦争が起きたほどです。現在では、供給量も安定し世界の各地で香辛料が安価に手に入ります。サフランなどは今でも大変貴重ですが、香辛料は私たちの食文化や食生活を支えるかけがえいのない存在であるのは今も変わりません。

日本の香辛料の歴史は、薬としての側面からはじまります。今から1300年前に、古事記に香辛料として山椒、にんにくが出てきます。また正倉院文書でも胡麻などが知るされ、他にはわさびなども登場します。日本ではこれらの和スパイスは漢方薬の材料などに使われることがほとんどでした。

肉食を行わなかった日本人は、食事は発酵調味料を発展させてきました。味噌や醤油、漬物などが中心です。胡椒が食べられる記録は1643年の「料理物語」というものに「にうめん」の項には胡椒と山椒をかけて食べるとあるそうです。 また1802年の「名飯部類」に「胡椒飯」というものがあるといいます。これは炊き立てのご飯に胡椒を挽いてだし汁をかけたものだといわれます。

和スパイスの代表に「七味唐辛子」があります。これは江戸時代初期、寛永2年(1625年)に「からしや徳右衛門」が薬研堀(やげんぼり)で開発されたものです。もともとこの地域には医者や薬局が存在し薬膳料理のようなものがあったといいます。漢方薬で食事しながら共に薬味が取れることやごまの香りが江戸っ子に人気が出たといいます。他にも同時期に京都の河内屋が冬に冷え性対策として七味唐辛子を入れたスープで提供して「七味屋」と名前を変えて今でも提供しています。私もよく蕎麦用に購入する長野県の善光寺にある「八幡屋磯五郎」も有名です。現代でも七味を使ったチョコレートやハンドクリームなどを開発したりと伝統を革新しているといいます。

現代の日本では西洋料理がここまで普及するとかつてのような和スパイスとの違いなど考える人も少なくなりました。しかし、よく歴史を観察すると日本の和スパイスは医食同源の意味合いが強いことがわかります。食べることは健康になることですから、それを下支えするスパイスもまたそのような効能があるものを日頃から摂取していたということでしょう。

現在、私は故郷の伝統在来種の種からこの時代に新しいスパイスの開発に取り組んでいます。新たな発酵調味料として、そして郷土に伝統野菜をいつまでも残し、この地域の人たちがいつまでも健康に暮らしていけるようにと志を立てて挑戦しています。

新たな日本の和スパイスを子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

はじまりを学び直す

昨日は、太陽の光をレンズで集めて火を熾しました。夏至祭の準備です。改めて火を太陽から熾してみると、私たちが太陽の火をいただいて暮らしていることがよくわかります。

レンズで試せばすぐに実感するものですが、光を集めれば高熱になり光が分散すれば優しいぬくもりになります。これは単なる人の距離だけのことだけではなく、まさに光との関係性のことです。

私たちは光を浴びています。その光は、全体にいきわたり丸ごと包み込まれている光です。光は私たちに熱を与えますが、同時にいのちも与えます。さらに光は反射することで熱を出し、同時に反射によって光を変化させてあらゆるいのちを支えます。

また光の角度でも光の度合いは変化しますし、瞬間瞬間に変化し同じ光は二度とはありません。私たちは毎朝夕に太陽と出会いそして別れますが同じ太陽は二度とありません。まさに一期一会の光をいただきこの世に存在しているともいえます。

その光の節目が冬至と夏至です。まさにこの二つのお祀りは火の光のお祀りともいえます。太陽からの火を集めて蝋燭に移し。この火をもってお祀りご供養をします。光の質が換わる節目に、それまでの光に感謝するというのがこのお祀りの本質かもしれません。

英彦山でのお山の暮らしの甦生のなかで、お火やお光というものはお水と和合する大切な存在です。自分の眼と手と感覚で本来の祈りはどのようなものであったか、かつての根源的な道は何処にあるのかを甦生しています。

地球や太陽や月や星々、あらゆるものからはじまりを学び直したいと思います。

価値軸の提案

高級感というものがあります。そもそも何をもって高級というのか、その反対が低級といいます。高級は質が高く、低級は粗悪であるといわれます。高級というと、高級車や高級ホテルなどもあります。しかし、高級というものとは別に高額というものがあります。この高額はお金が高いことで、低額は安いことです。これらは、何を基準に高いや低いといっているのか。そこには平均値というか、大体この辺が標準でそれより高ければ高級、低ければ低級となっていることがわかります。

しかしその質の高さというものも、車であれば年代物のクラシックカーなども高級ともいえます。だいぶ古くガタがきていても高級車です。それは希少価値があるからです。では最新の車で安い車が低級車かというとそうではありません。例えば、高級なデザインというものと低級のデザインというものがあります。高級は、高級そうに見えるというものです。色使いや様式などが高級感を出しているという意味でしょう。それに対して低級というと庶民的ということになっていたりもします。

つまりこの高級や低級などというのは、人の価値観でいくらでも変化するものです。宝石ももしも身近な石ころのようにダイヤモンドがその辺に落ちていたら高額でもなく高級でもなくなり通常の石と同じように扱われます。実際にはそんなことはありませんが、それだけ高級かどうかは人間のその時々の判断基準が左右しているということでしょう。

誰かがそれが高級だと言い切っているうちに、それが高級になることもあります。専門家や投資家、あるいは芸術家などもそういうことをしています。紙屑同然だったものが、宝石のように価値が出たりその逆もあります。

人間の価値基準というものほどいい加減なものはありません。例えば伝統在来種の種で絶滅寸前であってもそれが高級になることはなく、人間はあまり関心を持ちません。本来はその種は大変希少で先ほどのダイヤモンドと比べても引けをとらないほどです。しかしその価値がわからなければいつまでも低額で低級ということになります。

伝統文化や知恵などはまさに高級なものであるずですが現代の日本では二束三文の得にもならないように扱われます。私が取り組んでいることは、価値に左右されない普遍的なものを甦生していくことです。

それが本当に必要な価値で計算すると高級になってしまうこともあります。しかしそれは比較対象の中の高級ではなく、実際に時代の価値観のなかで勝手に高級になってしまったということです。

本来は、水などはもっとも高級でしょう。それはお金で買えないほどの価値のあるものです。何でも人類はお金で価値づけをしてきたから本来の価値がわからなくなるという愚をおかすのかもしれません。

子どもたちに本来の普遍的で本物の価値が伝承できるように、私なりの価値軸を世の中に提案していきたいと思います。

贈与経済と徳積経済

贈与経済学というものがあります。これはアメリカの経済学者K・E・ボールディングが提唱した経済システム論のことをいいます。これはギフトエコノミーといわれ、一般的には与え合う経済のことをいい、貨幣でのやり取りや等価交換などの資本主義の経済ではなく見返りを求めずに他者にモノやサービスを与えることといわれます。

私は徳積経済というものに取り組んでいますが、その違いが何かということを聞かれることもあります。見返りを求めないという意味では同じですが物やサービスを与えるということは異なります。

現代の資本主義に対して、贈与経済というものでは結局は対比や対立構造が発生してしまいます。価値観というものは面白いもので、対立や対比は違う価値観ではなく実際には同じ価値観の土俵であることがほとんどです。一つの価値観から抜け出すには、別の価値観を打ち出すことですがそもそも理解というものは、同じ価値観の中で行われますから結局は同じ土俵に立っている時点で別の価値観になったわけではありません。

別の価値観になるというのは、理解できないものになっているということです。なので理解できないことはダメなのではなく、理解できないものこそ新しい価値観、新しい経済ということでしょう。

そういう意味で私の取り組んでいる徳積経済は実践はできていても理解はなかなか広がらないものです。現代では、まず理解できてから実践しようとする傾向があります。時間がもったいないと思うのか、情報化社会のなかでまずは分かってからとなっているのかもしれません。

しかし実際には、新しい価値観になるというのは新しい価値観を生きてみて実践した分だけそうなっていくということです。例えば、先ほどの見返りを求めないという実践があるとします。しかしそれはどのくらいの量なのか、貨幣であれば全財産であるのか、サービスであれば自分の生命を懸けたものなのか。その度合いでも異なります。頭で考えているようにはならないのが実践ということでしょう。

私が取り組んでいることもまた、実践が優先されますがそれを理解してもらおうとすると義務のようなものに変化します。義務では徳は動かず喜びによってはじめて循環するものです。

色々と遅遅なる速度でしかも理解し難いと言われますが、価値観の改革というものはほんの小さなところ、また陰ながらの微細な実践から誕生してきたのが歴史からもわかります。

丹誠を籠めて徳積で循環する真の豊かさを伝承していきたいと思います。

魔除けの場

魔除けというものがあります。この「魔」という字は、一般に、人の心を惑わす悪鬼(悪魔)や災いをもたらす魑魅魍魎のことをいわれます。もともとはサンスクリット語のマーラの音写の短縮形で魔羅(まら)といい殺者、障礙からだといわれます。

むかしから、魔というものが存在しその魔から心身を守るために御守りというものや御呪いというものがありました。これを魔除けといいます。身近な暮らしの魔除けには色々とあります。神社や玄関のしめ縄であったり、屋根の鬼瓦であったり、あるいは化粧や宝石なども本来は魔除けです。あとは、音による魔除けや色による魔除け、方角の魔除けや形による魔除け、植物や樹木での魔除けもあれば、お札やお香、狛犬やシーサー、人形など挙げればきりがないほどです。

それだけ清浄や浄化をするように古来から努めてきたのかもしれません。私たちは気を付けていないと欲望や魔が差すようなことに遭遇することがあります。

普段はそんな人ではないのに、何かにとり憑かれたように別人になってしまう人がいます。感情に呑み込まれたり、よからぬことをしようとしたりと魔が差すのです。これは環境の影響が大きく、人は環境によって多大な影響を受けるということを意味します。

例えば、いつも部屋を綺麗に掃除し調えて清浄な暮らしをしていたら心身もまた穏やかに落ち着いて調っています。しかし、荒んで汚れてゴミが増え、あちこち物が散乱として穢れたところにいると乱れた暮らしで心身が傷んでくるものです。

どんな環境下にいても影響を受けないという境地を体得している方もおられるかもしれませんが、ほとんどの人は環境の影響を受けるのです。

だからこそその都度、魔除けというものは創造され人々の暮らしを見守ってきたように私は思います。時代が変わって、今では情報社会のなかでありとあらゆる情報が氾濫して心身が荒み乱れることも増えているように思います。

だからこそ、この時代の魔除けが新たに必要ではないかとも感じています。そこに私は場を用いているのです。暮らしフルネスの場を感じることで、この時代の魔除け方も学び直すことができます。

子どもたちに新たな場を創造し、いつまでも魔除けになるような体験を伝承していきたいと思います。

 

暮らしフルネスの境地

当たり前ですが自然を観察すると色々なものが一緒に生きているのを感じるものです。色々なものというのは、この世の全てともいえますがその色々と一緒に自分もいるだけです。自分だけが生きているのではなく、常に同時に一緒に生きています。これが自然というものです。

そしてその色々なものは同じ空気や水、光や熱を分け合って助け合います。それぞれが必要にかられて存在し、それぞれが必要なものを分け合うのです。この世のつながりはすべて私たちに必要なつながりということでしょう。

そして同時に色々なものが死にまた生まれます。生まれ変わり存在することもまた必要としていることです。意図的に誰かが必要としたものが必要の本質ではなく、存在そのものが必要となっているものです。必要の意味を間違ってしまうと、不必要の意味もまたズレてしまいます。

現代社会の必要とは、誰かにとって便利なものや都合のよいもののことをいいます。そして不便で都合が悪いのは不必要となります。本来は全部必要なものしか存在しませんし、存在そのものが必要と同義ですがそうではなくなっています。

どんな出来事もどのような苦労も、そしてありとあらゆる存在が必要不可欠であるという事実。宇宙というものは存在であるともいえます。存在を深め掘り下げていくと宇宙が何かということも気づけるように感じます。

畢竟人は、存在に気づくことが道の始まりではないかとも私は思います。

かけがえのない存在の中に自分もあるという真実に気付けるかということ。太陽や月や水や空気を見つめるとき、自分も同時に見つめるということ。如何に存在を称え敬うかというのは存在そのものと一体になる喜びを味わえるということでしょう。

日々の暮らしを通して、暮らしフルネスの境地を磨いていきたいと思います。

太陽のひかりと地球のめぐり

夏至祭の準備をはじめましたが太陽を眺めることが増え、その浄化する力に感動する日々です。そもそもお水が浄化するというイメージは一般的には理解しやすいと思います。汚れたものが洗い流されて綺麗になり透明になれば誰もが浄化されたと思うものです。

それに対して火というものは燃えて燃え尽きるとそれが浄化というのは思いにくいようにも思います。しかしこの火の光というものを観ると、その光によって浄化というものを感じるものです。炭火の光などを眺めるだけで心が穏やかになり次第に灰になる様相に浄化を感じるものです。

同様に太陽というものも燃えていますが光を放ちます。その光の力によってあらゆるものが浄化されていきます。

この光を浴びることで生き物たちはその力を自分の生命に宿し元氣になります。私たちの先祖たちは、その光をどのように浴びるかで効能があることを知っていたように思います。例えば、和紙を経由して浴びることであかりとなります。他にも鏡や水面に反射させることで神々しさを発揮させます。

同じ光のように感じても光はたくさんの種類があります。その光も、一年に夏至と冬至は特別なものが宿ります。単なる地球と太陽の角度というだけではなく、お互いの節目の時に出てくる光です。関係性の光とも言えます。

ご縁というものは全てはタイミングによります。人に生死があるように、光にも生死があります。何度も私たちが生死を繰り返し甦生するように、太陽や地球も同様にその巡りを繰り返します。

この甦生というのは、めぐりのことですがそれはひかりによって実感できるのです。

私たちのいのちは、宇宙や自然のめぐりに合わせて暮らしています。現代では人間中心のスケジュールを中心に物事が動いていますが、本来は太陽を中心にしためぐりを生きていました。そしてその方が、安心して感謝で喜びに満ちた暮らしを過ごすことができるように私は思います。地球はまたくるくると次のめぐりに入ります。変化を共に歩む中で自然の生き物たちも一緒に歩みます。

それは人間の身体が自然に調和してすべての臓器などが一緒に活動していることと同じです。

一年に二度しかない節目ですから、子どもたちのためにも丁寧に大切に暮らしをととのえていきたいと思います。

守静坊の夏至祭

来週の6月21日はいよいよ英彦山の守静坊で夏至祭を行います。伝来の神鏡に太陽の光を通してそれを浴びるという神事も行います。これは代々、宿坊で継がれてきた秘儀神事とのことでそれを甦生します。

もともとこの夏至というのは北半球においては、1年のうちで最も日の出から日没までの時間が長くなるため、「1年で最も日が長い日」のことです。この日は”太陽の力が最も強まる日”となり、そこから「太陽が生まれ変わる日」と信じられてきました。

その時の太陽の力には生まれ変わるエネルギーがあるともいいますし、同時にそれを身体に受けることで生命力や心身健康などを保ち活性化するともいわれます。そしてその翌日の夜には満月でストロベリームーンが顕れます。太陽の甦生を月が顕すように感じるこの2日間は本当に神秘的です。

冬至祭はいつもBA(場の道場)にて実施されますが、夏至祭は守静坊(英彦山)になります。浄化するための場を丁寧に調えており、鏡磨きもはじめていきます。

私たちは日常の喧騒や人間を中心にした現代社会の生活の中で、太陽や月といった私たちを根源から支える存在への感謝を忘れてしまうものです。当たり前に太陽が月があるのではなく、私たちのいのちを見守り支えてくださっている火と水の根源でありそれをカミ様といい感謝してきたように思います。

忙しい日々で仕事や何かの予定でそれどころではないという人も多いと思いますが、本来はそれどころではなく供養や感謝をするころで私たちの心も体も喜ぶように思います。

特に英彦山の守静坊からの夕陽は、澄み切っており浄化されます。あちらから降りてくる光を神鏡に受けてこちらから降りてきた光を浴びると不思議と光を通して極楽譲渡と結ばれた感覚になります。

年に一度しかないこの唯一無二の日を皆様と一緒に過ごせることに感謝します。子どもたちや子孫へ、先人の知恵を御祭りを通して伝承していきたいと思います。

暮らしフルネスの中のととのふ

最近、サウナの影響で「ととのう」という言葉が流行っています。この調うというのは辞書には古語の「 ととのふ 」、乱れ のないきちんとした状態になることと記されます。

サウナの場合は、熱いサウナに冷たい水風呂に入りそのあとに次第に交感神経と副交感神経が入れ替わる感じですっきりするときに使われます。心臓には大きな負担がかかりますが、ストレス社会で頭ばっかり酷使する現代の環境の中ではこの刺激は特に快楽的に感じるのかもしれません。

もともと私はサウナーでもなく、ほとんどサウナに入りませんが伝統の石風呂といって日本古来のサウナのようなものを建築しています。たまにご縁のある方が集まり入りますが、サウナの人たちのような「ととのった」などという感じではありません。

そもそも、ととのったというものは、快楽的に欲望を満たすようなものではありません。禅でいうところの座禅や食事、或いは掃除や片付けなどのように日常の暮らしの中で心静かに穏やかに過ごしているものです。それは一つ一つの動作に対して、心を用いて心でその時を深く味わうものです。

他にも、お花を活けたり炭火でお茶を立てたり山水画を描いたりお祈りをするときにもととのいます。この時のととのいは、そもそもストレスに対するととのいではありません。

穏やかに静かに内面から心をととのえている時のものです。もちろん身体が静かに休み穏やかになると、心にも安堵感をはじめ多幸感は出てきます。しかし例えば、煙草を吸って落ち着いてととのったといったり、激しいイベントでととのったというのは言わないようにも思います。

日頃からととのう暮らしを大切にするなかで、その一環で石風呂に入るという具合が私の感じる「ととのふ」ことです。最近は、敢えてととのふといって私は実践を伝えています。

暮らしフルネスの中でととのふ生活は、そのまま生き方にも影響を与えます。先人たちへの深い尊敬と配慮を大切にし丁寧に伝承していきたいと思います。

文明依存と文化の目覚め

現代、電気水道やガスや石油などがある生活が当たり前になっています。そしてお金がそれをつなげる中心を司っているともいえます。このお金を中心にしたつながりのなかで現代社会は構成されています。

これらのものがなくなったと仮定すると、果たして人間は何でつなげていくことができるでしょうか。現代では失われてしまった過去のつながりをどのように再現するのか、それをそれぞれの国々で実験している人もおられます。

例えば、無人島で明日から急に生活するとなったらどうなるでしょうか。まず水を確保し、食料を確保し、家をつくります。一人でもですが二人以上いれば、協力するでしょう。

携帯電話がなくなり電気がなくなると、私たちはすぐにどうしていいかわからなくなります。自分で調べるという手段が失われると、如何に電気製品に依存していたかに気づくのです。

日本の文献を調べているときに、今から1300年以上前は文字もやっと使えるほどになったころ紙もなく石板や木版に刻んでは記録をしていました。その当時は、文字や記憶媒体もありませんからみんな知恵として体得したり口伝で伝承していました。今では携帯やパソコンや本があるから知恵は電源が入れば思い出せる仕組みです。

しかしひとたび、電気とつながらなくなるとそれですべてが止まってしまいます。私たち人類は、時代時代に何に依存しているかが問われます。文明というものは、人間がもっている感性を使わなくても便利な道具で同様なことを実現できる仕組みを発展させていくものです。

先日、ある方にバーニングマンという奇祭があることを教えていただきました。年に一度、砂漠で一週間、文明に依存しているものを手放し人と協力して暮らしていくという御祭りです。そこには下記の10の原則がありそれを守ることで実現するそうです。

1.誰にでもオープンであること 2.ギフト文化の推進 3.商業主義から脱却すること 4.徹底的に自立すること 5.自己表現を究めること 6.共に協力すること 7.社会人としての責任を果たすこと 8.あとを残さないこと 9.参加すること 10.現場での体験を大事にすること

これらは本来の人と人とのつながりにおいて大切な学びが入っていることがわかります。1週間をかけて、電気もインターネットもない砂漠で水と食料を分け合いながら暮らしていくなかで気づくことは多いように思います。

ここまで極端でなくても、日々の暮らしを見つめ直して何が真に豊かなことかを見つめて取り組めば似たような体験はできるように私は思います。

色々と現代において最も大切なことを学び直せる場をととのえていきたいと思います。