水と火の徳

水と火というものは、私たちの生活には欠かせないものです。その水と火にどれくらい感謝できているかというと当たり前になってしまって忘れてしまうものです。毎日、神棚にお水をあげご先祖様にお線香で供養していましたがそれも大切な存在を忘れないための日々の実践にもなります

私たちの脳や神経は、便利な機能があり同じことを自動で繰り返すことができるようになっています。本来は、いのちがあったり五感六感をフル稼働して使わないといけないものも道具にしたり仕組み化することで自動化していくものです。

しかしその自動化するうちに、本来のもっている徳性や力を引き出せなくなっていたりします。そのものの持つ力を引き出す方法として、水や火というものはシンプルながらもとても偉大な存在であると私は思います。

これが土であれば、土にも徳性があります。土はあらゆるものを浄化し、そして産み育てます。ひとたび、発酵してその作物や場と調和すれば生命を育む循環の徳が顕現します。いい土は、まさに私たちの生命を深く底から助けてくれます。

火や水もまた同様に、徳性や力を持っています。むかしの遠い先人たちは、それを子孫へと見せてくれました。火は単に燃やすだけではないもの、水もまた同様に流すだけではないもの。浄化の方法も、調和の方法も、どのような徳があるのかもご祈祷や御祭りなどによって伝承してくれていました。

私たちは感覚を研ぎ澄ますことがなくても、便利に水も火も土も使います。しかしその力はほんのわずかなものであり、そして徳もそんなに活かすものでもありません。

最先端のテクノロジーばかりを追い求めているうちに、真の最先端の智慧の技術を捨てていきました。一見、進歩発展してように思えてもその実はあべこべで逆行して後退荒廃しているという現象も起きています。

地球や宇宙、水や火のように自然から与えられている存在がどれだけ偉大かを忘れるのはとても残念なことです。それは宗教でもなく、科学でもなく、徳であることを思い出すことからが甦生のはじまりだと感じます。

子孫へ水や火の徳を伝承していきたいと思います。