文明依存と文化の目覚め

現代、電気水道やガスや石油などがある生活が当たり前になっています。そしてお金がそれをつなげる中心を司っているともいえます。このお金を中心にしたつながりのなかで現代社会は構成されています。

これらのものがなくなったと仮定すると、果たして人間は何でつなげていくことができるでしょうか。現代では失われてしまった過去のつながりをどのように再現するのか、それをそれぞれの国々で実験している人もおられます。

例えば、無人島で明日から急に生活するとなったらどうなるでしょうか。まず水を確保し、食料を確保し、家をつくります。一人でもですが二人以上いれば、協力するでしょう。

携帯電話がなくなり電気がなくなると、私たちはすぐにどうしていいかわからなくなります。自分で調べるという手段が失われると、如何に電気製品に依存していたかに気づくのです。

日本の文献を調べているときに、今から1300年以上前は文字もやっと使えるほどになったころ紙もなく石板や木版に刻んでは記録をしていました。その当時は、文字や記憶媒体もありませんからみんな知恵として体得したり口伝で伝承していました。今では携帯やパソコンや本があるから知恵は電源が入れば思い出せる仕組みです。

しかしひとたび、電気とつながらなくなるとそれですべてが止まってしまいます。私たち人類は、時代時代に何に依存しているかが問われます。文明というものは、人間がもっている感性を使わなくても便利な道具で同様なことを実現できる仕組みを発展させていくものです。

先日、ある方にバーニングマンという奇祭があることを教えていただきました。年に一度、砂漠で一週間、文明に依存しているものを手放し人と協力して暮らしていくという御祭りです。そこには下記の10の原則がありそれを守ることで実現するそうです。

1.誰にでもオープンであること 2.ギフト文化の推進 3.商業主義から脱却すること 4.徹底的に自立すること 5.自己表現を究めること 6.共に協力すること 7.社会人としての責任を果たすこと 8.あとを残さないこと 9.参加すること 10.現場での体験を大事にすること

これらは本来の人と人とのつながりにおいて大切な学びが入っていることがわかります。1週間をかけて、電気もインターネットもない砂漠で水と食料を分け合いながら暮らしていくなかで気づくことは多いように思います。

ここまで極端でなくても、日々の暮らしを見つめ直して何が真に豊かなことかを見つめて取り組めば似たような体験はできるように私は思います。

色々と現代において最も大切なことを学び直せる場をととのえていきたいと思います。