暮らしフルネスの中のととのふ

最近、サウナの影響で「ととのう」という言葉が流行っています。この調うというのは辞書には古語の「 ととのふ 」、乱れ のないきちんとした状態になることと記されます。

サウナの場合は、熱いサウナに冷たい水風呂に入りそのあとに次第に交感神経と副交感神経が入れ替わる感じですっきりするときに使われます。心臓には大きな負担がかかりますが、ストレス社会で頭ばっかり酷使する現代の環境の中ではこの刺激は特に快楽的に感じるのかもしれません。

もともと私はサウナーでもなく、ほとんどサウナに入りませんが伝統の石風呂といって日本古来のサウナのようなものを建築しています。たまにご縁のある方が集まり入りますが、サウナの人たちのような「ととのった」などという感じではありません。

そもそも、ととのったというものは、快楽的に欲望を満たすようなものではありません。禅でいうところの座禅や食事、或いは掃除や片付けなどのように日常の暮らしの中で心静かに穏やかに過ごしているものです。それは一つ一つの動作に対して、心を用いて心でその時を深く味わうものです。

他にも、お花を活けたり炭火でお茶を立てたり山水画を描いたりお祈りをするときにもととのいます。この時のととのいは、そもそもストレスに対するととのいではありません。

穏やかに静かに内面から心をととのえている時のものです。もちろん身体が静かに休み穏やかになると、心にも安堵感をはじめ多幸感は出てきます。しかし例えば、煙草を吸って落ち着いてととのったといったり、激しいイベントでととのったというのは言わないようにも思います。

日頃からととのう暮らしを大切にするなかで、その一環で石風呂に入るという具合が私の感じる「ととのふ」ことです。最近は、敢えてととのふといって私は実践を伝えています。

暮らしフルネスの中でととのふ生活は、そのまま生き方にも影響を与えます。先人たちへの深い尊敬と配慮を大切にし丁寧に伝承していきたいと思います。