暮らしフルネスの境地

当たり前ですが自然を観察すると色々なものが一緒に生きているのを感じるものです。色々なものというのは、この世の全てともいえますがその色々と一緒に自分もいるだけです。自分だけが生きているのではなく、常に同時に一緒に生きています。これが自然というものです。

そしてその色々なものは同じ空気や水、光や熱を分け合って助け合います。それぞれが必要にかられて存在し、それぞれが必要なものを分け合うのです。この世のつながりはすべて私たちに必要なつながりということでしょう。

そして同時に色々なものが死にまた生まれます。生まれ変わり存在することもまた必要としていることです。意図的に誰かが必要としたものが必要の本質ではなく、存在そのものが必要となっているものです。必要の意味を間違ってしまうと、不必要の意味もまたズレてしまいます。

現代社会の必要とは、誰かにとって便利なものや都合のよいもののことをいいます。そして不便で都合が悪いのは不必要となります。本来は全部必要なものしか存在しませんし、存在そのものが必要と同義ですがそうではなくなっています。

どんな出来事もどのような苦労も、そしてありとあらゆる存在が必要不可欠であるという事実。宇宙というものは存在であるともいえます。存在を深め掘り下げていくと宇宙が何かということも気づけるように感じます。

畢竟人は、存在に気づくことが道の始まりではないかとも私は思います。

かけがえのない存在の中に自分もあるという真実に気付けるかということ。太陽や月や水や空気を見つめるとき、自分も同時に見つめるということ。如何に存在を称え敬うかというのは存在そのものと一体になる喜びを味わえるということでしょう。

日々の暮らしを通して、暮らしフルネスの境地を磨いていきたいと思います。