愛の場

誰かが何よりも大切にしていたものを受け継ぐことがあります。しかもそれを欲しいと思っていないのに突然に託され任されることがあります。戸惑いながらも最初は責任感で引き受けてしまいますが、それがとても大変で難しいことばかりです。

私の人生は、選ばないと決めてからは来たご縁を全て受け容れて前に進む人生になりました。しかし受け入れがたいことも多々あり、その都度、眠れない日々を過ごすことがあります。善かれと思っていることが他の誰かから悪いと思われることがあり、あるいはそれを思ってもいない人から言われると傷つくこともあります。しかし、そのどれもが自分の視野の狭さでもあり、きっとその人にも何か自分にはわからない苦しみや悲しみがあっているということがほとんどです。

周りは無責任に様々なことを勝手に言いますが、実際に責任と覚悟を持って実践する人にとってはどんな小さなことも大きく受け止めて煩悶とすることもあるようにも思います。それはその人たちが真摯にこれでいいのかと不安ながらも日々に真心を盡しているからだとも私は思います。それは根っこに志や使命があるからこそ、自分にとって揺るがせることができない信念や理念に立ち返る機会になるからです。

よく考えてみると、ご縁というものは善いも悪いもありません。そういうご縁だったのだからそれをどう結んでいくのかというだけです。綻びるものもあれば、結べないものもあり、あるいは綺麗にちょうどよく結ばれるものもあります。いちいちそれに善し悪しつけて評価したり裁いていたらご縁を喜べません。

ご縁があったのならば、それを丸ごと受け容れてそのご縁の意味を味わっていくとそのうちどのご縁も笑い話になっていくようにも思います。時が経てば、ほとんどすべてが善いことは御蔭様でよくないことはお互い様というものです。持ちつ持たれつが人のご縁ですから、そうやって許しあいながら歩んでいくのが人生でもあります。

本当は、誰もがお互いを思いやり配慮できれば喜びの和が広がっていくものです。立場や都合を優先していたら、本心からの対話は難しいものです。愛や許しというものは、常に自分が試されます。動機が何か、目的が何か、本当は何かと自己を内省し、自分に正直に誠実に真心を実践し修練いくことに集中していきたいと思います。

子どもたちも純粋無垢な心をいつまでも見守れるように、すべての試練を愛の場に換えて伝承していきたいと思います。