真心と味わい

私たちの日頃から食べているものというのは、生き方が入ってくるものです。つまりは食べ方が生き方だともいえます。またどのようなものを食べてきたかで今の身体もできていますから、身体から受ける精神的影響もとても大きなものになります。

医食同源といって、食べるものはそのまま体の滋養になります。滋養のために食べるものから、嗜好品のように食べるようになると食べ物も変わります。当然、意味が変われば味付けも料理法も変わります。

食べるという定義も、変わってくるように味の定義も変わります。そうなると美味しいというものの定義も変わります。嗜好品的な美味しいと、滋養的な美味しいとでは味の感覚も異なります。

私たちは同じ言葉を使い表現しますが、その意味は目的や動機、意識によって異なっているということでしょう。

だからこそ味わい深いものは、味の感覚を磨いていくことでより感じられるようになります。それはお水を飲むというだけでも、味は異なり、美味しいお水というものもまったく別の異なる味になるということです。

これは真心というものも同じです。真心も何が真心かというものかは、ある程度の型があったとしてもその心に真心かどうかはその時々で変化します。つまり何が真心かというのは、先ほどの味のように目的や動機や意識で同じにはならないのです。

だからこそ、感覚をいつも研ぎ澄ましている修練や練磨が必要であり真心の生き方を実践するから真心がその都度変化してその時々の最適な真心として実践されていくのでしょう。

味と真心はそういう意味ではとても似ています。

子どもたちや子孫のためにも、真心の生き方を味わっていきたいと思います。