古代からの感覚

お山にいくとお水があります。そのお水の清らかさは明らかに平地とは異なり澄み切った冷涼な透明感があります。そしてそのお水の傍から吹いてくる風がまた同様に清々しいものです。

私たちはこのお山のお水を感じるとき、言葉にできない清浄な元氣を味わっているともいえます。これは本質的には、お山そのもの元氣をいただいているということです。

私たちの元氣というものは、根源的ないのちの正体ともいえます。私たちの身体は元氣と一体になって活動しています。元氣がなければ、いくら身体が動いても気力がなく何もしようとは思えません。この元氣を蓄えるのは、お山の元氣をいただくときに実現するものです。

お山を歩いているだけでも元氣は蓄積します。そしてこのお山の元氣を目に見える形にしているのがお水ということです。お水にはお山の元氣が溶け込んでいるということです。

私たちの元氣は、この溶け込んでいるお水を取り入れるときに発生します。お水がいのちの根源ということです。そのお水をどのように取り入れるかは意識に左右されます。

お水に対する尊敬やお山に対する畏敬があれはあるほどにお水の元氣をいただきます。だからこそ、私たちはお山で祈るのです。そしてお水の力は、火によって顕現します。火はお水を反射してそのお水の持つ徳を活かしていきます。

あらゆる古代の信仰は、このお水からはじまったといっても過言ではありません。そしてお水をお祀りするためにお火を用いたということでしょう。火は自分たちの中にある熱であり水が形を変えたものです。

感覚を研ぎ澄ませていくと、古代から伝承されている叡智に気づくものです。

引き続き自分に流れる古代からの感覚を信じて、精進していきたいと思います。