変化と感覚

人間の感覚というのはとても鋭敏です。例えば、何かに力が入りすぎたりすると「力む」状態になります。よく緊張している状態で身体が強張ります。すると無駄に力が入ることで瞬発力もなくなり、怪我をしたりします。また肩こりや筋肉痛なども発生します。すぐに緊張するタイプは、力んでしまうタイプともいえます。

しかし力むということが分かるというのは、力んだことがあるからです。力まないがわかるのも力まなかったことがあるからです。つまりはこれは感覚でつかむものです。

いくら頭でわかっても、実際に力まないはわかりません。何度も繰り返し、感覚でその状態に近づけていくしかありません。実際には、自分の身体の感覚というのは変化を已みません。その時の体調の善し悪しもあれば、蓄積してきた疲労とかもあります。また精神的なものや心の中の状態なども変化します。

つまりその時の状況は変化し続けますからその変化に気づく感覚が必要になります。力む力まないというのは、感覚で行うものです。そしてこれは心身だけでなく、その時の今、つまり一期一会の状況を味わうや活かすといった瞬間と場との変化にも適応していることになります。

同じ状況など一切ないというのが感覚の世界です。これは音の世界も同じで、同じ音なども一切ないということです。一度、聴いてしまった音は二回目には同じ音には聴こえません。それは自分の中にその音が入っているからです。これは経験も同じです。同じ経験は二度とありません、一度体験したらその次は別の経験になっているからです。

毎回、自分の感じるその感覚が変わっていることに気付けるか。これが先ほどの力まない状態に近づいていくことに似ているということでしょう。

感覚の世界というのは、全身全霊を活用します。そしてそれは全体最適を目指していることに似ています。別の言い方では、中庸でありバランス感覚、柔軟性ともいえます。

毎回、その感覚の世界を味わい生きている人は新鮮さを失いません。そして最高の状態というものを自覚していきます。これはそのものの持ち味を喜び、徳を引き出すことにも似ています。

感覚を磨くというのは、どの分野においても大切な要素です。身体的な感覚を法螺貝を通して磨いていきたいと思います。