人の願い

人は願いを懸けたあとそれが成就しますが、長い年月をかけて成就したものへの感謝を忘れるものです。しかしよく考えてみると、願いは一つの思いになって祈ったものですからそれが巡り巡ってまた元のところに戻ってくるものです。

この世の中は、反射の仕組みによって成り立ちます。私たちの眼に見えるものも反射の仕組みです。音が聴こえるのも反射、それが出入りすることが陰陽ともいえます。そう考えてみると、願いもまたどこかに届きそれが戻ってきているともいえるものです。それを別の言い方では波動ともいい、仏教ではご縁ともいいます。

決して消えてなくなったものではなく、永久的に反射している存在としてありそれが響き合い重なり合うことで増幅したり或いは和合したりして存在を続けています。そしてその存在があるところを私は「場」と呼ぶのです。

善い場には、善い場を創造した波動があります。その波動は常に何か日々の暮らしの中で研ぎ澄ませてきたものがあります。

場を調えるというのは、願いを聴き届ける場でもあります。私たちが鏡に祈るように、私たちの存在は過去の願いで仕上がっているものです。その願いは悠久の年月、先人や先祖たちが願ったものです。

そのことに対する感謝と、また同じように子孫へ願うことが私たちの最も反射する仕組みが増幅したり和合するために大切になるように思います。不協和音を消していくと、澄み切った和音が聴こえてくるものです。それはまるで夜明け前の静かな夜であったり、瞑想をして無心のときに聴こえているものです。

願いに生かされているという実感は丁寧な暮らしと共にあります。暮らしフルネスの実践を紡いでいきたいと思います。