日本の徳

江戸時代には私塾というものがありました。これは今でいう大学のようなものです。それぞれの研究者や実践者が学問を深め究める場でした。そもそも学問には終わりはなく、自己修養のように一生涯磨き続けるものです。

その中でも、影響を受け合って後世に伝わっていくような塾があります。現代での塾は、どちらかといえば受験のためのものになっていますが本来の江戸時代などの私塾は純粋に学問を追及していく場所ではなかったかと思います。

特に儒者の多かった時代は、論語などを中心にして自己研鑽や自己修養、経世済民など為政者を育成しました。その当時のリーダーとは、徳のある人を目指しました。その中で、何が徳であるのか、徳はどのように積むのかなども学び合いました。

それぞれの私塾では、それぞれの論語の解釈もありますからそこには学派というものもでてきます。これは現代の宗派などと似ています。時代と共に、分派していくというのは世の常でしょう。

現代では、その江戸時代から続く私塾を引き継いで大學になっています。しかし今の大學が果たしてその当時の私塾の理念をそのまま実践しているかというと、そうではないところがほとんどではないかとも思います。

建学の精神というものは、ほとんどは「徳」に根差します。これは日本の私塾の系譜がそこに根源を求めているようにも私は感じます。和の系譜の先人たちは共通して徳を語ります。そして徳を実践することを一生涯の自己修養のモノサシとしていました。

現代、縁あって徳積堂を郷里で運営していますがよく考えてみるとこれもまた徳の甦生の取り組みの一つです。徳がどのように循環するのか、そして現代であれば何を徳を磨く砥石にするのか。これだけ情報化社会になって知識が簡単にインターネットで得られるようになっているからこそかつてのような知識を獲得し能力だけを便利に伸ばしていくことに力を注ぐ必要は感じません。人工知能も出てきていますから余計に知っているだけの知識をこれ以上増やしてもあまり意味がないように思います。

だからこそ、これからは徳の実践が重要になってきます。なぜならそこに日本人とは何か、何を目指してどのような目的のために生きたかを自覚することができ真の自立に向かう原動力になるからです。

引き続き、先人たちの遺徳を偲びながら日本の徳を磨いていきたいと思います。