懐徳堂の甦生

昨日から懐徳堂の代々堂主や先生方のご供養をしにそれぞれのお墓参りをしてきました。いくつかのお墓にはその方の人生がどうであったかが文字で刻まれ、徳が顕彰されていました。

実際に歴史を省みるとき、現地に赴きそれぞれの遺した跡を辿ることで知識として得ている情報が実際に感じられるものに変わります。そこには、場の不思議があり場にはいつまでも徳の余韻が残るものです。

それぞれの墓前で、ご冥福をお祈りし献花、焼香をし、お経をあげて現状の世の中のこと、私の志、また行く末や未来について報告してきました。

先人たちはどのような未来を画いてその時代を生きておられたか、その思いに心を合わせる時間になりました。

そもそも人が何かをするとき、そこに志があります。懐徳堂であれば、最初に五同志が資金を持ち寄り設立するときにその志を定めて開堂します。そして道なき道を切り拓き、その道の最中に志ある方々がその場所でその志を同志や同胞、仲間と磨き合い精進して道をさらに結んでいくのです。

懐徳堂の玄関柱には中井竹山の筆になる竹製の聯が玄関柱にかけられこう文字が刻まれていたといいます。

「学に努めて以て己を修め、言を立てて以て人を修む」

そして懐徳堂が明治維新後に体制が変わりその144年の歴史に幕をおろし閉堂する際に学主となった並河寒泉は一首したため門前に下記を詠み掲げました。

「百余り四十路四とせのふみの宿 けふを限りとみかへりて出ず」

しかし、その後も同志や有志が何度も懐徳堂の徳が顕彰され甦生を続けて今に至ります。

道というものは、最初切り拓いてからそのうち誰も通らなくなると草や木が生え鬱蒼とした森になります。しかしその誰かが通った道を、改めて歩み直して調えているとその遺徳の道が永遠に場にあり今でも見事に甦生するのを感じます。

先人たちの歩んでこられた道は、失われることはなく今でもその続きを私たちが歩んでいるともいえます。改めて、志を持ち、同志の理想の未来を共に歩むと心に深くその士魂が響いてきます。

懐徳堂がはじまり300年が経ち、大坂をはじめ日本は経済大国としてどのように振舞っていくのか。何をもって経済大国であり、何が私たちの先人たちが目指した経済の本質であるか。今一度、原点に帰り懐徳堂から学び直していきたいと思います。