自學自悟

懐徳堂に学んだ人物に富永仲基という人物がいます。この方は、今でいう兵庫県、摂津尼崎の人で幼少より懐徳 堂に入り醬油醸造業を営みながらも三宅石庵に陽明学を学びます。陽明学は、知行合一の実践を重視する學問です。そし仏教・神道をも学び、のちに儒・仏・神のいずれも否定し「誠の道」を求めることを著書で主唱しました。

これが今でも大勢の思想家や哲学者、宗教家に影響を与え続けていると言います。

まさに生き方は、學を志、孤高を歩む独創的な人です。夭折されたこの天才が世の中に今知られるのは、一つは弟の富永定堅を中心に兄の遺志や著書を守ったからかもしれません。

これは私の解釈ですがそもそも學問は権威のためにあるのではなく、本来は自己の内面を磨くためにあるとすれば経典をはじめあらゆるものに派生した分派や派閥などは本来の誠の道ではないというのでしょう。

そして最初にはじまった道、つまり真心の人は決して経典に書こうなどしていない。経典や文章にしたのはその口伝だったものを弟子たち及び周囲が聞き取りそれを明記し、それが次第に権威になって信仰の対象のようになっていったということ。

それがどのようになっていったのかを学問的に分析して明記したという意味では、本来の歴史をどのように人間が改ざんしていくのかを解釈したものとも言えます。

そもそも歴史というものも、普遍的な中庸の道ではなく誰かが時代時代に価値観や文化を改修して都合のよいものに変化してきたものです。その時の権威によって内容はコロコロと変えられます。言葉や文字も同様に、同じ言葉や文字を使っても意味は全く異なります。

今でもこの富永仲基が天才や独創と呼ばれる理由の一つは、世の中の権威や当然の価値観を否定しているからでしょう。學問において自由にどこまで話していいのか、その本当のことを語れば抹殺されたり永久に資格をはく奪され追放されたりするのがほとんどです。そういう意味で、世の中に真実というのは出回りません。出るときは、利用されたり敢えて極端な説を引き立たせるために使えるところだけを抜きとって改ざんするときです。

富永仲基が語る誠の道とは何だったのか、これは私のかんながらの道と同じではないかと直観します。

最後に富永仲基の言葉で締めくくります。

「善をすれば則ち順、悪をすれば則ち逆、これ天地自然の理、もとより儒仏の教えに待たず」(「出定後語」)

最初からある存在、そもそも誰かが手を加えなくてもいい真理、教えなどなくてもこの世にはそれがあり、この智慧こそが學の道ではないかと話しているように私は感じます。暮らしフルネスもまた、同様に智慧を場に投影して先入観なく中庸に学ぶ実践です。

教えから入るのではなく、自學自悟することが道であるということでしょう。自由な學問を実践していた懐徳堂で幼少期から純粋に学んだからこそこの数々の著作につながったような気がしています。

刷り込みや先入観などすべてを取り払い、私も自分の眼で感じたことを実践していきたいと思います。