懐徳堂に関わり、改めて麻田剛立先生のことを深めていると學問への真摯な姿勢や自由で独創的な取り組みに感動します。懐徳堂でも鵺学問といわれ、あらゆる分野の善いところを取っていると揶揄されたと言いますが本来はそれが學問の本質ではないかと思います。
今は専門分野に分かれ専門家が特別な学問の人のように語られます。しかしよく病を見て全体を見ずのように一部の原因だけに詳しく全体のことがわからなくなることもあるように思います。業界が分かれて、業界の中だけの人になるということは往々にしてよくあることです。
実際に何かを究めていこうと取り組むと、ありとあらゆることがアンテナに飛び込んでくるものです。例えば、いのちを調べていこうと思ったら微生物やウイルスなど目に見えないものから具体的な植物の成長や動物の発達、あるいは宇宙や星々の運行などにまで興味がわくものです。
麻田剛立先生は、天文学をしながら医者で生計を立て日本では三番目に古い人体解剖書『越俎弄筆』を懐徳堂の中井履軒先生とも行いました。39歳で脱藩をして大分から大阪へと移住し、そこで自由に天文学の研究をし先事館を創設し弟子たちを指導しながら道を拓きました。5歳から太陽と影の関係を観測し、ケプラーの第3法則を発見したり、月のクレーターを含む月面地図を日本人で初めて観測し画きました。孫弟子には伊能忠敬先生に結ばれこの生き方や思想がのちの日本地図を完成する偉業につながります。
どの時代の学者も自分の理論や理屈にこだわっている人ばかりですが、この麻田剛立先生は自分の理論や理屈には囚われず何からでも学びました。また自分の観測結果や学習した理論を惜しげもなく自由に公開していたといいます。名誉や出世などに影響を受けず、自由に學問に没頭し、生涯謙虚に純粋性を大切になさっていた人柄が偲ばれます。
そういう麻田剛立先生だったからこそ、三浦梅園先生も心から信頼して一生を信じる友となっていたように思います。我執よりも純粋に學ぶ姿は、私たちに自由の本当の意味を気づかせてくれます。
自然から學ぶということがどういうことか、先人の生き方や生きざまから學び直していきたいと思います。