記憶と感情

懐かしい写真を整理していたら幼馴染の誕生日を祝う動画が出てきました。今から12年前のものです。そこでまだ生前の声や雰囲気が感じられ、仕合せそうな姿がありました。

私たちはむかしの映像や記憶をそれぞれの思い出として心に宿しています。ほとんど思い出さないようなシーンであっても、映像や写真を観るとその時の情景が甦ってきます。

この時の情景は、その時の感情によって変化します。嬉しい時に見れば嬉しい感情が増幅し、悲しい時に見れば悲しさが増幅します。私たち人間は、感情がありその感情に様々な記憶が揺さぶられ記憶が鮮明になっていきます。

感情は常に記憶と結ばれていて、私たちはその記憶と共に感情を顕すのでしょう。思い出したくないものや、これ以上記憶したくないようなことがあれば感情が途切れることもあります。

それくらい感情は記憶とは切り離すことができないものです。最近、テレビや動画が便利にいつでも見れるようになり脳が記憶のように認知しているものがあります。心から顕現してくるような記憶ではなく、頭で映像を見ているようなものです。映画やドラマのシーンなどもまるで記憶にアクセスしたかのように鮮明です。

私たちは他にも夢を見ます。これは寝ている時の夢のことです。この夢もまた、記憶の一部が顕現したものです。まるで別の未来や別の過去があったかのように自分の経験してみてきた記憶が別のものに改造されています。

すると同時にまた別の感情が呼び覚まされます。私たちの感情は記憶であり、記憶が感情そのものをつくっています。つまりは、記憶を甦生するのは感情であり感情があるから記憶が常に新しくなっているということでしょう。

そして感情はすべての生き物にあります、それは無機質のものにも存在します。小さな虫でも、あるいは動物でも夢を見ます。これは私が観察してきた犬やクワガタでも夢を見ていました。何を見ているのだろうかと思うとき、記憶を観ていたことを感じました。

私たちの正体は、この記憶の中に存在するということなのかもしれません。

日々の暮らしは、記憶の再現です。感情を丁寧に調えて、記憶を磨いていきたいと思います。