タイミングの中

まだまだ酷暑は続きますが、夜になるとコウロギや鈴虫などの音色が響いてきます。それに一部では銀杏の木も葉の色が黄色に移り変わり、桜の葉もほとんど落葉しているところもあります。

季節は全体として動いても、その季節に合わせてどう対応するかはそれぞれに異なります。桜といっても一本から個性があり、同様に虫にも動物たちにもそれぞれに自分にあった季節の対処というものがあります。

みんな同じようにと思い込んでいるのは人間だけで、実際には個体個体ですべて異なります。みんなに合わせていても、自分の身体には合わないこともあります。自然の生き物は、自分の身体感覚に正直でありその身体感覚に合わせるからこそ自分に最も相応しいタイミングというものがわかります。

私たちはタイミングというもの中に、季節だけではなく時機やあるいは死期というものまで直観するものです。タイミングとは中庸であり、最も相応しいことがわかるというものです。

そのためには周りに合わせていてはわかりません。自分の内面や身体感覚とよく向き合い、丁寧に自分というものと正対して調和していく必要があります。人間は無理をする生き物です。特に誰かのためにや、みんなのためにとなると余計に無理をします。無理をするとき、意識は自分の身体感覚からズレていくことがあります。なぜ無理をするのか、どこが無理をしているのかなど丁寧に向き合うことで何が自然体であるのかということに気づきます。

しかし自然体に気づいたとしても、自然体になるというのとは別のことですから自然体でいるための道を歩んでいく必要が出てきます。その一つには、認めることや恕すこと、諦めることなど色々な執着を手放していく努力があったり、あるいは自分の喜びに集中することや、徳を磨いていくことなどもあります。

自然の生き物たちは上手に自然の流れに従いつつ、調和しては季節の巡りと道を合わせています。タイミングに生き、タイミングに死にます。自然というものの素敵さというものはこのタイミングの中にあるということかもしれません。

引き続き、よくタイミングを内省しながら丁寧に暮らしを紡いでいきたいと思います。