農業の本当の価値

現在、農業の本当の価値は正しく世の中には伝わっていないように思います。長い時間を経て、手間暇をかけてじっくりと育ててきたものが世の中のマーケットに出そうとすると、大変な安さで値決めをされてしまいます。その理由は、中国産や機械化やあるいは農薬化学肥料による量産化したものと比べられるからです。

本来、小さな農家が集まって市場に品物を出し、それぞれの善さを競い合っていた時代から大規模農家が独占しどれだけ安く出せるかを競い合う。これは家電製品なども同様に、値引きすることが当たり前というのは消費者側の市場原理と大衆の欲望を優先した結果でありそれを繰り返しているうち、本当に長い目で観て善いものをつくろうという考えは否定され、目先のもので安価で使い捨てられるような便利なものをつくる人が優先されていきました。そのため、ちゃんとした本物の価値を提供しようとしていたメーカーは倒産し、農家も正直に丁寧に小さくても在来種や固定種、その洗練された技術を持っていた篤農家たちもいなくなりました。

末路として、今、世界中で問題になっている現代の環境汚染や自然の破壊や富の格差や飢餓貧困などが多発しました。そういうものをいつまでも解決しようともせず、まだ今でもその浅はかな市場原理を優先した売り方や買い方を換えようとはしていきません。

私が取り組んでいる伝統在来種の高菜も、自然農で人が丁寧につくりそれをお漬物にするのもスパイスにするのも物凄い時間と技術と労力がかかります。作物を育てるだけでも、8か月以上時間がかかります。そしてそれを加工するのに半年以上かかります。また商品にするにも一つずつ手作業でかなりの手間暇をかけていきます。すると、その経費だけでも市場に販売されている添加物たっぷりの高菜の10倍以上の費用がかかります。それには利益はのっていません。そこに利益をのせようとすれば、農家さんが生活できる費用、継続できる費用、未来のために投資を続けるための費用があります。しかしそれをしたら値段が高いという理由で市場は取り扱ってもくれません。だから値引きしろと言われたら、赤字を出しながら農家を続けることになります。そうしているうちに、ちゃんと正直にむかしの大切な智慧と味を守ってきた農家が世の中からいなくなったという流れです。

これは、自然の動植物が絶滅していく仕組みにそっくりです。篤農家も自然と共生して、むかしながらの智慧の暮らしを継続していましたから動植物と似ています。だから絶滅していくのでしょう。気が付いた時には、漬物であれば発酵もしていないような添加物や防腐剤いりのものばかりが食卓にあがり、それを漬物と認知していざ、もし自然災害や戦争等で保存食が必要なときにはその智慧も失われて酷いことになるのは火を見るよりも明らかです。

結局は、私が取り組んでいる伝統在来種の懐かしい農産物や暮らしの智慧がその時には必ず役に立ちます。今の時代のように便利でお金で豊富に安いものを買っているうちは、保存食の智慧など価値がないとも思われます。

しかしそんなことをみんなでやっていたら、危機に対しでどう地域やみんなで乗り越えるのでしょうか。種でもF1などの改良のものを使っていたら、自家採取もできません。化学肥料や農薬がないとできない農法をしていたら、もしそれが海外から入ってこなくなったら作物はできないということでしょう。石油が止まり機械が使えなくなれば、作業すらできないとなったらどうするのでしょうか。

私がむかしの懐かしい味や伝統や知恵を守ろうとするのは、子孫のことを思うからでありみんなでその価値を守ることで美味しさも健康も、仕合せも徳も譲っていくためです。

何でも都市化して、グローバリゼーションの大合唱の名のもとに均一化してお金だけの価値を優先して軸足を単なる搾取経済の援助ばかりをしていたら社会もそういう未来になるばかりです。

そろそろ本気で目覚めて、自分たちの誇りや子どもたちや子孫のために一人一人が選択をしていく時代だと私は思います。そしてそういう人たちがきっと、本物の農産物や正直な加工をする人たちを支えていくことを信じています。引き続き、世の中の流れがどうあろうが、本質や根源を見失わないように丁寧に暮らしを紡いでいきたいと思います。