休みを味わう

人は休みが必要な時があります。なぜなら休むことは、止まることになるからです。以前、骨折した時に何もできなくなり色々と苦労したことがあります。それまでのハードな日常が全て途絶え、食欲もなくなり気力も失いました。そうなると、うつ状態のようになり不安や心配事が波のようにやってきます。真面目であればあるほどに、何とかしなければとバタバタするほどに余計に休むことができません。

思い切って、諦めて休もうと決心すると周囲がよく動いているのが観察できるようになってきます。自分が止まるからこそ、周りがよく観えるのです。今の時代はスピード社会で何でも一日でやれることが増えています、車や飛行機であっという間に移動でき、お金を使えばすぐに御飯が出てきて携帯やパソコンで情報や連絡が瞬時にできます。こうなってくると、スピードは増していくばかりで便利の渦のなかで自分が動き続けている状態になります。

じっとするというのは、内側からの治癒を快復させていくことに似ています。動くときに使う気力と、じっとする時に使う気力は陰陽のバランスのように調和しています。動いているからこそ、止まる時間が必要になる。これは座禅などでも同じです。

また動くと疲れますが、疲れると硬くなってきます。必要以上に無理をしたり、緊張する時間が増えると緩む時間が減ってきます。緊張と緩和、自律神経やストレスというものは常にその止まることとのバランスを保つことで調っています。

また「止」というのは、古代中国の甲骨文字がルーツです。足を意味する偏旁(へんぼう)が加わり足で立ち止まるという意味です。字も足跡を表していて、歩くというのもこの止まるが合わさっています。

質の高い動きと休みは、「止まる」ことではじめて実現するように私は感じます。しかし止まることを學ぶというのは、なかなか難しいことです。車の運転も、速度を上げすぎたら周りの景色も見えませんし事故にあったらどうしようもありません。ブレーキをちゃんと踏め止まることを会得しているからこそ運転も楽しくなります。長旅するには、運転を安心してできるように休みを覚えることが必要不可欠ということなのでしょう。

休みはただじっとしているだけではなく、地に足が着いているという意味もあります。地に足をついてちゃんと一歩ずつ丁寧に進むことで私たちの心身は安定してきます。丁寧な暮らしをしながら休みを大切に味わっていきたいと思います。